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中国がいかに”偉大な”国かということ(北京オリンピック入場曲の意味)

ニュース関連, バラエティ

先に行っておくけれど、私は共産党を支持したことはない。

もちろん中国共産党に与するものでもない。

社会主義にも共産主義にも興味はない。

それはそれとして、だ。

2021年の東京オリンピックの中国の実績。

そして2022年北京オリンピックの開会式を見ていて、なるほどこれが中国のやってきたことだったのか、と。

唸らざるを得ない思いだったのだ。


私は昭和生まれだ。

一番最初に記憶にあるオリンピックはロサンゼルスオリンピック。

カール・ルイスがヒーローだったということだけ覚えている。

1988年だ。

それからソウルオリンピック(1992)も、鈴木大地のバサロとか小谷実可子とかいたな、と。

それからアトランタ(96)、シドニー(00)。

この頃はまだ、日本は大して金メダルは取れなかった。

経済大国ではあったけれど、オリンピックでは勝てなかった。

「体格差」という絶対的な不利があるから仕方ない。

皆そう思っていた。

そして、そんな中でを取った選手たちはまさにヒーローだった。

金メダルをとった人は奇跡の人。

銅や銀をとった人たちも救国のヒーロー。

そんな扱いだったと思う。


栄光の架橋で鮮明に記憶されることになるアテネオリンピック(’04)のとき、私は無職だった。

なんで皆がこんなにアテネオリンピックのことをよく覚えているかというと、もちろんゆずの「栄光の架橋」が名曲だったということもあると思うけれど、何よりこの大会で日本選手団が大躍進を果たしたからなのだ。

だいたいそれまでの大会では金メダルが5個位、メダル全部で15個位というのが相場だった。

それが、いきなり16個の金メダルをとって、金メダル数で世界5位になったのだ。

アメリカ、中国、ロシア、オーストラリアについで5位だ。

快挙だった。

とにかく柔道がめちゃくちゃ強かったのだけど、体操も強かったし、ハンマー投げの室伏、レスリングでは伊調馨と吉田沙保里、平泳ぎの北島康介、マラソンで野口みずきが金メダルだった。

他にもアーチェリーで高校教師である山本博が銀をとったり冨田が個人で銀をとったり、浜口京子が銅に泣いたり、いろんなことがあったのだ。

無職で生活不安さえ抱えていた私は、暗い部屋でテレビだけつけて、そんな彼らの活躍をぼんやり眺めていたものだ。

頑張るステージがあっていいなぁ。

そう思ったら泣けてきたのを思い出す。


はなしがそれすぎたぞ。

閑話休題。

当時、もちろん最強の国はアメリカ。

そしてソ連(ロシア)。

そして居並ぶ”列強”ヨーロッパの国々。

ときどきオーストラリア。

そんな中で異彩を放っていたのが、中国だった。

中国は当時、大国じゃなかった。

先進国でもなかった。

というか、まあ明らかに後進国だった。

その中国が、オリンピックのメダル数には異常にこだわっていた。

国を挙げて優秀な子供を見つけ出して、徹底的に養成して送り込んでくる。

後進国であるにも関わらずメダルを取れるような選手を大量に送り込んでくるのは、よほどのことに違いないと皆思っていた。

人間的な生活すら許されず、ロボットのように練習に明け暮れて鍛え上げられ、国の威信をかけてオリンピックに参加する。

本当にそうだったのかは知らない。

しかしオリンピックで活躍する彼らを、私達はどこか哀れみとか軽蔑の眼差しで見ていたと思う。

早い話が、共産党の奴隷だろ、と。


ユンディ・リーっていう、ものすごい迫力のあるピアニストがいる。

もちろん顔貌の話じゃなくて演奏が、だ。

ショパンコンクールはブーニンが優勝した1985年のあと、1990年と1995年は優勝(1位)は「該当者なし」だった。

2000年、あのブーニン以来15年ぶりにショパンコンクールの優勝者となったのが、まさかの中国人だったというのは大いに話題になった。

「東洋人である私達なりのショパンの解釈がワルシャワで認められたことを誇りに思う」(意訳)というようなことをユンディ・リーの師匠である中国人がインタビューに答えていたのが印象的だった。

彼は、欧州留学組じゃなかった。

中国生まれ中国育ちのピアニストだったのだ。


2000年頃といえば、中国の囲碁もとても強くなった頃だった。

藤沢秀行さんなんかが中国政府に呼ばれたりして、若者たちを一生懸命教えて、中韓が強くなったのがこの頃だった。

1999年から2003年ごろ連載されていた人気漫画「ヒカルの碁」でもその片鱗と言うか、その様子が描かれていた。


さあ。

つまりこれはなんだ。

国家の威信をかけて、海外の競技会やコンクールで成果を上げさせられる、精鋭奴隷部隊?

いや、そうじゃないだろう。

大体、そんなことでメダルやショパンコンクールが取れるわけがない。

彼らは人間なのだ。

何でもそうだけど、一流であれば一流であるほど、トップであればトップであるほど、メンタルは重要な要素になってくる。

人間を育成するなら、奴隷のように扱ってはだめだ。

そんなやり方ではトップになれないことは、マネジメント理論でもコーチング理論でも語り尽くされているのだ。

素養がある人間を見つけなきゃいけないし、それには一定の競技人口が必要。

適当に選ばれた人間が、練習を強制されるだけで一流になれるほど世の中甘くはないはずだ。

だから、というか、つまり。

多分中国は、スポーツや囲碁や音楽や、その他のこれに類いする、あえて言えば非生産的な活動の人口を政策的に増やしたのに違いない。

そして、競技人口が増えたからレベルが上って、そこから選抜された人たちがさらに洗練された訓練を受ける機会を得て、最終的に成果を得たわけだ。

これは、中国の体面をとりつくろうための事業じゃない。

そんな生ぬるいものじゃないし、そんな生ぬるい覚悟で金メダルが量産できるほど世界は甘くない。

彼らは本気で取り組んだのだ。

文化、に。

そして、とうとう2021年の東京オリンピックでは、中国は世界で二番目に多い38個(1番はアメリカの39個)の金メダルを含む88個のメダル(これも世界2位、1位はアメリカの113個)を獲得したのだった。


中国は知っているんだと思う。

中国がもう一度、歴史を統べる一流の国になるために必要なものがなにか、を。

つまりそれは文化事業だ。

中国は、まだGDPが何位かもわからないようなころに。

BRICs、とロシアブラジルインドといっしょくたにされて「資源が豊富で国が広いから、2050年くらいになればGDPで世界6位に入るかもしれない」なんて言われていた(2003年のGSのレポートの中身だ)ころに。

ちゃんと世界で覇権を握るための遠大な計画を立てていた。

つまりそれは、全方位的に一流の国になることだ。

彼らは、軍事力や経済力だけでは歴史の主役になれないことを知っているのだ。

軍事力だけならモンゴルが最強だったし、経済力なら日本だって悪くなかった。

でもモンゴル帝国はたった100年で消えてしまったし、Japan As No.1は10年も持たなかった。

しかし、高い文化度を誇ったローマ帝国や中華帝国は、その支配者(王朝)こそ時代の変遷とともに移り変わっていったけれど、周辺の国に対する優位性というのは1000年単位で続いてきた。

それは、文字や言語であったり、思想や芸術であったりといった分野で周囲の国や地域よりも遥かに高いレベルのものを持っていたからだ。

中華を異民族が支配したこともあったけれど、彼らは自分たちの色に中華を染めることはなく、むしろこぞって「中華化」していった。

結局最強なのは文化であって、武力や金ではないのだ。


中国は東京オリンピックで、世界で二番目に多い38個の金メダルを取った。

そして、世界で初めて夏と冬のオリンピックを同じ土地で開催する快挙を成し遂げた。

今回の冬季オリンピック開催に当たり、ウィンタースポーツの愛好家を3億人にするという目標を掲げて、ウィンタースポーツの振興に取り組んできたらしい。

これだ。

ウィンタースポーツが素晴らしいんじゃない。

趣味を持つこと、体を動かす習慣を身につけることが素晴らしい。

それを国を挙げて進めるというのはなかなかできることじゃないのだ。

そうやって、また、こうやって、中国は一つひとつ文化度を上げていき、いつしか世界に冠たる国歌になりつつあるのだ。


北京オリンピックの開会式は素晴らしかったと思う。

レーザー光を駆使した演出は洗練されていて、美しかった。

そして、あらゆる意味でポリティカル・コレクトネスに適うものだったと思う。

入場行進は、ドラクエから始まった東京オリンピックに私個人は軍配を上げたいけれど。

今回の入場行進曲は世界各国のクラシック音楽ということだった。

作曲家が世界各国なんじゃなくて、曲のテーマが世界各国かなというというところがおしゃれだ。

ロッシーニのウィリアムテル序曲(スイス)

チャイコフスキーのくるみ割り人形から「葦笛の踊り」(フランス)

バッハの管弦楽組曲から「ジーグ」(アイルランド)

エルガーの威風堂々(イギリス)

ヴェルディのアイーダから「凱旋行進曲」(エジプト)

ワルツ王ヨハン=シュトラウス二世のワルツ「春の声」(オーストリア)

ベートーヴェンのトルコ行進曲(トルコ)

ベートーヴェンの交響曲第5番第4楽章(人類)

ヴェルディのオペラ椿姫より「乾杯」(イタリア)

ビゼーのオペラカルメンより「前奏曲」(スペイン)

ブラームスのハンガリー舞曲(ハンガリー)

ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」第4楽章(アメリカ)

モーツァルトのシンフォニー第40番(オーストリア)

ヴィヴァルディの四季から春第1楽章(イタリア)

チャイコフスキーの白鳥の湖(ロシア)

ワイトトイフェルの「スケーターズワルツ」(フランス)

ヨハン=シュトラウス1世のラデツキー行進曲(オーストリア)

それから、番外編で、五輪旗の入場ではベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」第4楽章が使われていた。

さらに「Imagine」も。

イギリス人であるジョン・レノンと日本人であるオノ・ヨーコの曲で、東京オリンピックでも使われた反戦歌だ。

こんなところでこっそり日本人にも気を使ってみせたようにも見える。

あるいは少なくとも、日本が関わっているから排除する、というようなことはないのだということだけはわかる。


いいものはいい。

素晴らしいものは素晴らしい。

西洋のものだろうが、良いものは取り入れ、使う。

そういう度量だ。

そして、間違いなく行進のために最もふさわしく最も素晴らしいクラシック音楽をクラシック音楽ファンが100曲集めたら、いや、多分30曲と限定しても、クラシックファンなら誰もが必ずこの曲の5割〜8割をラインナップに入れると思う。

そういう、納得のいく選曲だ。

「我々は、欧米の文化も学び吸収することを恐れないし、その価値を認めることに躊躇をしない。」

そういうメッセージをひしひしと感じるのだ。

クラシックと言っているから行進曲とはいえさすがにアメリカのスーザは入れないし、当然星条旗よ永遠なれと言うわけには行かない。

そこが嫌味なところだ。

しかしそれでも、ドヴォルザークの「新世界より」でさりげなくアメリカを表現した音楽をわざわざ入れるあたり、念がいっている。

クラシック後進国のイギリスからわざわざちゃんと、イギリス第二の国歌とも言われる威風堂々を持ってきているのも気が利いている。

大嫌いな米英の顔を、一応立てているのだ。

そして、みんなわかってると思う。

このわざわざ顔を立てた2カ国を含む、ラインナップの中心メンバーであるアメリカ、イギリス、フランス、そしてドイツ(バッハもベートーヴェンもモーツァルトもブラームスも「ドイツ人」だ)は今回の大会を「外交的にボイコットする」あるいはわざわざ「開会式に行かない」と宣言した国々だ。

オリンピックには「エケケイリア」という習慣があって、つまりオリンピック中には戦争をしないという約束なのだけど。

中国は見事にそれを、この音楽のラインナップで表明していると思う。

そして、世界のトップたちに言ってみせたのだ。

お前らはオリンピックの精神を汚した大馬鹿者だ、と。

うん。

実に見事だ。


もっと国際戦略みたいなことを一生懸命分析したりしてもいいんだけど、そういうのは今回はいい。

中国は怖い国だ。

中国は賢い国だ。

中国はすごい国だ。

それがよくわかったのだ。

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