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愛とはなにか

お父さんであること, 日記

どうにも腰が痛い。

ぎっくり腰だ。

あれは多分中学生の頃。

文化祭の準備の日に初めてやったのだ。

それ以来、2年に1回位ぎっくりやる。

何がきっかけなのかわからないけど、気づくと腰がずれている。

立ち上がるのにああでもないこうでもないと四苦八苦。

そして立ち上がったら立ち上がったで姿勢を保てない。

保ったら保ったで動けない。

どうにもこうにも。


「ぎゅうにゅうがのみたい」

「のどかわいた」

「ふぉーくがない」

「うんちするからみてて」

「べいぶれーどでばとるしよ!」

まあとにかく色んなことを言われる。

口がきけなきゃきけないであれこれ忙しかった。

もう今となっては何が忙しかったのかも覚えていないけれど、とにかく何かがひっきりなしだった。

口がきけるようになると何が忙しいのかははっきりわかる。

とにかく何かをお願いされて、応える。

その合間にやらなきゃいけないこと、片付けとか掃除とか仕事とか、をやる。

そしてそれが一段落すると、それを待ち構えている子どもたちがいて、

「たたかいしよ!」

と、こうだ。

ちょっと一休みさせて。

といいたい。

しかし向こうも私がテーブルを片付ける間待っていたのだ。

こうなると、待ってたのはなやたいきを優先するのか、一息つきたい自分を優先するのか、ということだ。

さあ。

ここだ。


マザー・テレサが言ったんだそうだ。

「愛は行動を伴うもの」

英語でなんて言ったのかは知らない。

そもそも英語を喋っていたのかもしれないけれど。

とにかくこれだ。

そして

「小さなことに忠実になりなさい。そこにこそ、あなたの強さが宿るのだから。」

これだ。

そういえば、カトリックのミサでは、ミサを始める前にかならず皆で懺悔するのだけれど。

そのセリフは

「私は思い、言葉、行い、怠りによって度々罪を犯しました」

だ。

「聖母マリア、すべての天使と聖人、そしてきょうだいの皆さん、罪深い私のために神に祈ってください」

と続くのだけど、我ながらよく覚えている。

やっぱり昨日の夕飯はなかなかすぐに思い出せなくなったけれど、若い頃に覚えたものというのは忘れないのだ。

まあいい。

カトリックでも長いこと罪は「思い、言葉、行い」によって犯すものだと考えられていたのだけど、この「怠り」が20世紀になって加えられたのだと高校の先生(ブラザーだ)が言っていた、ような気がする。

怠りというのはとても意識することが難しい罪なのだ。

それだけに犯しやすい罪でもある。

罪だと自覚しないと「悪いこと(思い、言葉、行い)をしたわけじゃない」と開き直りすらできてしまう。

これが怠りの罪だ。

だからマザーは「愛は行動を伴うもの」といったのだろう。


そして「怠り」が罪である以上「待って」「あとで」というのも罪なのだ。

マツモトキヨシの創業者のお父さんであるマツモトキヨシさんが作ったという松戸市役所すぐやる課。

あれだ。

すぐやるのが愛なのだ。

後でやるのは愛じゃないのだ。

うーん。

厳しい。

厳しいけどごもっともだ。

後でやるのはただの仕事。

明日やろうは馬鹿野郎。

やっぱり頼まれたことはすぐやるのが愛なのだ。


実践できているかどうかは聞かないでもらうし自分でもいったん考えないことにするとして、やっぱりこの考えは染み付いている。

だから頼まれたらすぐやりたい。

後でと言いたくない。

という気持ちは、ある。

あるというより、強い。

サボってるときは「サボってるな」と思う。

それでもサボるときはサボるけど。


で、腰が痛い。

腰が痛いから何かとすぐ動けない。

おまけにたいきが咳と鼻水で保育園に行けなくて、のはなもそれにまきこまれて保育園に行けなくて、奥さんが出社で家にいなくて、病院には連れて行かなきゃいけなくて、しかも仕事がてんこ盛りに重なっているという。

今日はそんな、なかなかジゴクミの強い一日だった。

私がPCを叩いている右側からたいきが

「たいちゃんの!ベイはね!ぎが!ふぇにっくす!とぉ!ばはむーと!とぉ、ねえ!おとうさん!きいてる!の!あと!ぶーすたーふぁぶにる!とぉ!いんふぇるのいふりーと!とぉ…」

延々続く。

なんであんなに声が大きいんだろう。

なんで50センチのところにいるのに叫んでるんだろう。

うんうん。

お父さんはオタクだったからそのバハムートもファブニールもフェニックスも知ってるしイフリートも知ってるよ。

フェニックスはフェニキアの鳥だからフェニックスだって教えたいし、バハムートはベヒモスとも呼ばれてることはいつか伝えたいし、ファブニールが龍の姿だけど本当はドワーフであることも話したいけど、いずれにせよ今じゃないんだな。

なぜならのはながさっきからずっと反対側から

「おかしはべたい(たべたい)、こうえんいきたい」

と叫び続けていて、それは無理なんだけど、ちょっとでも動くと公園に行けると勘違いされそうでトイレにもいけなくて我慢しているわけだ。

まして、たいきがブロックで作ったベイブレードのパーツを探す旅に出るには今の私の腰は痛すぎるわけで。

なにやら部屋中にそれを隠したから探してほしいらしいんだけど、それよりも取引先の社長からのメールにも返信しなきゃいけないし。


愛は行動を伴うものっていうのは、在宅勤務では少なくとも無理。

悲しいほど無理。

ましてぎっくり腰ではもっと無理。

嘆息するしかないな。

と思っていたところ。

「はあちゃん、ぎゅうにゅうのみたい」

おお。

叫びすぎてのどが渇いたと見える。

これは応えてやらなければ。

とっさに立ち上がろうとして腰に激痛。

前かがみにテーブルに手をついて苦悶。

くそう。

情けない。

すると、たいきが駆け出した。

「たいちゃん、とってきてあげる」

まだ冷蔵庫に手は届かないのだ。

ちゃんとステップを持っていって、冷蔵庫を開けて、随分上の方においてあった牛乳パックを取り出した。

そしてそれを持ってくると今度は食器棚にいってコップ。

ちゃんとのはなに飲ませるのにふさわしいコップだ。

いや。

もう。

なんか感激してしまって。

「たいき、ありがとう」

といった声は震えていたと思う。


あんまり気負いすぎてもいいことはないだろう。

といって、知らないで過ごすわけにも行かない箴言だ。

愛は行動を伴うもの。

明日も頑張ろう。

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