ポケモンとアリストテレスの魂
『おとうしゃん、とりたいぷのぽけもんは、みずにはいるとしんじゃうんだよね』
うん。
すまん。
お父さんはポケモンのことは全く分からんのだ。
「そうなの?ファイヤーも?」
ファイヤーはポケモンGOで奥さんに言われてとったので知っているのだ。
『ちがうよ!ふぁいやーはとりじゃないよ』
「え?とりでしょ?ちがうの?」
『ふぁいやーはどらごんだよ』
そうなのか。
でも見た目は鳥じゃないか。
「鳥とドラゴンは何が違うの?」
『えーとねぇ。とりはひをはかないけど、どらごんはひをはく!あと、どらごんはとりよりおおきい!』
うーん。
なるほど納得だ。
しかし。
感動的だ。
いまたいきがやっていること。
これはまさに学問の入り口なのだ。
分類するとか特徴の共通点を見つけるとか。
これは諸学の祖アリストテレスや分類学の祖リンネがやったことだ。
しかも、強いとか弱いとかくえるとかくえないとか、そういう人間の視点ではなく、そのものの客観的な(つまり人間にとってはあまり有用でない)分類をしたのがアリストテレスやリンネのすごいところなのだ。
それが自然哲学であり科学なのだ。
この視点と分類する作業があって初めて科学が産まれたと言って過言ではないし、そもそもこのものを客観的な特徴で表現して分類することが科学なのだといってもこれまた過言ではない。
4才のたいきは、ポケモンから、世の中のものを特徴ごとに分類して科学することの楽しさを学んでいるのだ。
学校の座学ではこの楽しさをちゃんと教えてくれる先生というやつに、私は出会えなかった。
でも、誰かが分類した結果を無理やり覚えるなんて知識の身に付けかたとしては非効率だし、知恵の身に付けかたとしては超絶非効率なのだ。
それよりも、なぜそう分類したのか、どうやってその共通点を見つけたのか、その特徴にはどんな価値(意味)があるのか、そういうことに興味を持つことが大切だし、知識や知恵をいっぺんに身につける近道なのだ。
それを。
アリストテレスの魂を。
学問の真髄を。
ポケモンが教えてくれている。
なんとすばらしいことか。
ポケモンサマサマだ。
ちょっとポケモンを誉めすぎという気もするけどね。

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