じーじにもばーばにも会えない
全くバカバカしい。
こんなことってあるだろうか。
たいきはますます難しいことを話すようになってきた。
まだ舌っ足らずで「す」が「しゅ」になるぐらいなのに、「ちなみに」とか言い出した。
日々成長。
身長だってどんどん伸びる。
のはなはのはなで、一生懸命言葉を覚えている。
お風呂に入るからYouTubeはバイバイしてね、なんていうと、ちゃんと「うん」とうなずいてホームボタンを押す。
ちゃんとわかっているのだ。
しゃべる方だってちょっとずつ単語が出てきている。
そして、何を言っているのかさっぱりわからないけれど、ベビーカーの上ではなにかしきりに、というかずっとおしゃべりをしている。
しゃべりながら時々確認するような眼差しでこちらを振り向くので「そうだね」なんて言ってやるとまた前に向き直ってしゃべり始める。
まあ、とにかくかわいい。
両実家の人たちは、コロナが怖くて孫に会えないらしい。
まあ、一度は子育てをした人たちだから、この後も子どもたちがずっと可愛いのだ、ということを知っているのかもしれないけれど。
こっちは初めてなのだ。
そして、いまの二人が滅法可愛いのだ。
この時期は、今しかないのだ。
今の二人に会えないなら生きてる価値なんかないんじゃないかと思うくらいなのだけど。
はぁ。
色々な考え、色々な判断があるものだ。
風呂場でのはなを膝に座らせて背中側から洗っていると、のはなが自分の体についた石鹸を両手にとって、こちらを振り向いた。
洗いづらいことこの上ないし、落っこちそうで怖い。
のはなさん、ちゃんと前を向いて
なんて言いかけたけど。
とりあえず体を洗うのは中断。
しかし何かこちらを向く用があるのだろう。
するとのはなが両手をこちらに伸ばしてきて、私のお腹をかわいい小さな手のひらでこすり始めた。
『にゃーなん』
何言ってるのかはわからない。
「どうしたの?」
『なっ、にゃーなん』
全くわからん。
しかし、何をしているのかはわかった。
私の体を洗ってくれているのだ。
まあ、とにかくかわいらしい。
そういえば、たいきもこんなことをしてくれたことがあったように思う。
そのときもこんな風にくすぐったくて、あったかくて、幸せな気持ちだったのだ。
のはなに触れられた手の感触で思い出した。
思い出したってことは、忘れてたのだ。
そんな記憶もこんな記憶も、もう、すぐにでも消え去っていってしまって、今度はもう思い出すこともないのだろうか。
そう思うと、無性に悲しくなるのだ。

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