銀ちゃんのラブレターの歌詞が深かった
銀ちゃんのラブレター
まあ、まずは歌詞。
ぎんのじょうくんからゆりちゃんにおてがみ
でもぎんちゃんはじがかけません
だから春には封筒に桜の花をいれました
ぎんのじょうくんからゆりちゃんにおてがみ
でもぎんちゃんはじがかけません
だから夏には封筒に拾った貝をいれました
赤いポスト、白い封筒、鳥の切手
ぎんのじょうくんからゆりちゃんにおてがみ
でもぎんちゃんはじがかけません
だから秋には封筒に赤い落ち葉をいれました
ぎんのじょうくんからゆりちゃんにおてがみ
でもぎんちゃんはじがかけません
だから冬には封筒に雪をすくっていれました
赤いポスト、白い封筒、鳥の切手
ぎんのじょうくんからゆりちゃんにおてがみ
『銀ちゃんのラブレター』作詞:俵万智
今日この歌詞を奥さんにちゃんと教わって、ショックを受けている。
私はもう、何回も何回もこの歌を聞いて、何回も何回もたいきやのはなに歌って聞かせているのだけど、ずっとずっとずうっと、字がかけないのんは「ゆりちゃん」だと思っていたのだ。
「ぎんのじょうくんからゆりちゃんにお手紙」
ほら。
ぎんのじょう君から手紙が来た。
「でもゆりちゃんは字がかけません」
ゆりちゃんは字がかけなくて困った。
「だから春には封筒に桜の花をいれました」
ほらね。
はなしはこうじゃなきゃ通じない。
「ぎんのじょうくんからゆりちゃんにおてがみ」
と言っているのに、まだぎんのじょうくんからのお手紙か来てないなんて思いもしなかった。
これは、ぎんのじょうくんが、手紙を「出したい」と思ったという歌詞なのだそうだ。
「でもぎんちゃんは字がかけません、だから春には封筒に桜の花をいれました」
まあ、言いたいことはわかったし、たしかに日本語としては通じてるけど。
そもそも最初に
「ぎんのじょうくん」
と呼んでいるのに、いきなり
「ぎんちゃん」
呼ばわりするのはなぜなのか。
どっちかに統一できなかったのか。
たしかに私もたいきのことを「たいきくん」「たいきさん」「たいちゃん」「たいき」などと色々に呼んでいて統一されていないから、そういう意味では人のことは言えないけれど。
ここも不親切だと思う。
不親切と言うか、違和感だ。
いや、まてよ。
書いてて気持ちが変わってきたぞ。
そうか。
ぎんのじょうくんはお手紙を出したいと思った。
ちょっと背伸びをしているのだ。
だから「ぎんのじょうくん」だ。
でも字がかけないんだ。
何歳か知らんけど。
あるいは、知的障害の人なんじゃないかとか戦災孤児とかの文盲の高齢者なんじゃないかとか色々妄想は膨らむのだけど、そこはちょっと話が長くなるから割愛するとして。
字がかけなくて悲しい思いをしているのは、まぎれもなく「ぎんちゃん」なのだ。
なるほど。
これはなかなか味わい深い。
しかしまだなんか悔しいので、ついでに言わせてもらうと、もう一箇所私が間違えて覚えているところがある。
「だから夏には封筒に拾った貝をいれました」
のところだ。
私はずっと
「だから夏には封筒に、浜辺の貝をいれました」
と歌っていた。
俵万智がなんと言おうと、拾った貝よりも浜辺の貝の方が素敵だ。
大体、桜の花も赤い落ち葉も拾ったに違いないのだ。
ことさらに貝だけ「拾った」ことを強調されるのはなぜなのか。
別にあえて拾ったと言わなくても、誰も味噌汁の具のアサリの貝殻をいれたとは思わないと思うのだ。
いや。
たしかにそれなら「浜辺」と、拾った場所を説明しなくてもいいじゃないかという話はある。
しかし、貝を形容するのはなかなか難しいのだ。
小さな貝をいれました。
これもきれいだと思うけど、封筒にいれたことと合わせると、何か、封筒の厚みと言うか、そういうものがリアルに感じられてしまってあまりよろしくない。
これは、小さくても大きくてもいいのだ。
いや、違うな。
そういうことじゃないのだ。
これはもう、この大きさ、というのがあるのだ。
その大きさはひょっとしたら聞く人によってちょっとずつ違うのかもしれないけど、でも大きくもなく小さくもなく、このくらいの、という丁度いいところがあるのだ。
だから小さな貝を、などと説明するのはやっぱり野暮なのだ。
きれいな貝をいれました。
こうする人もいるだろう。
しかし、きれいなものを「きれい」という言葉を使わずに表現するのが詩なのだ。
絶対にきれいななんて言葉は使っちゃダメなのだ。
そう考えてくると、確かに「拾った貝」とした俵万智のセンスはさすがだし、適当に作った歌詞じゃないことはわかるし、であれば当然俵万智だって「浜辺の貝を」というのも考えただろうけどそうしなかったんだな、ということもわかる。
ああ、そうか。
書いててわかったのだけど、これは「銀ちゃんにわかる言葉」で書いてあるのだ。
だから、拾った貝、なのか。
ううむ。
なるほど。
浜辺の貝、や、海辺の貝、もきれいなのだけど、ぎんちゃんやゆりちゃんにわかる言葉を選んでるのか。
納得だ。
書き始めたときは「字がかけないのはゆりちゃん」「貝は浜辺の貝」がいいという結論にしようと思っていたのだけど。
意外と文章を書いてみたら気持ちが変わってしまった。
もとの歌詞、いいじゃないか。
味わい深い。
ちょっとこの歌詞で、この年末年始はたいきとのはなに歌って聞かせてみよう。

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