きょうだいゲンカに親はどう対応するべきか
4才のたいきがiPadでYou Tubeを見いる。
1才のはながアンパンマンのレジスターをいじって遊んでいる。
お買い物ごっこかなと思ってのはなの前に指し向かいに座って
「こんにちは。くまさんのぬいぐるみを下さい」
と言ってみた。
のはなはどうしていいかわからず、にやにやと私の顔を見た。
まだレジの意味や使い方はわからないらしい。
しかたないので自分でピッとやると、アンパンマンの声で
「ゴヒャクニジュウニエンデス」
のはなにおもちゃのお金を渡すと、それを受け取ってのはながまた私の顔を見た。
やり取りを見ていたたいきが口を開いた。
『そのおもちゃはおかあしゃんがたいちゃんにかってくれたのだよ。ちょっとこっちにちょうだい。』
「いまのはなちゃんが使ってるからね。」
そもそも1年以上前に買ってもらったおもちゃの入手経緯を、本当によく覚えているなと感心する。
たいきは不満そうな顔でこちらにきて、のはながレジに触れないように邪魔をしながらピッピッと数字のボタンを押した。
のはなが一生懸命同じように触ろうとするけれどたいきが邪魔をする。
「たいき、意地悪しないでよ」
言ってはみたものの、確かにそれはたいきのおもちゃなのだ。
どうしたもんかなぁと思っていると、のはなが立ち上がって、私の寝室を指差した。
一緒にそっちに行こうというのだ。
さて。
もうすぐご飯なのだけど。
まあいいか。
のはなに先導されて私の寝室に行く。
のはなは私の部屋を駆け回ったり私に抱きついてきたり。
たいきとやる戦いごっこの真似事みたいなことをしてやると、きゃっきゃといって喜んだ。
そろそろのはなも一人前に子供らしく遊ぶようになってきたなと思う。
うれしそうにも、楽しそうにもする。
悲しそうにもすれば、怒りもする。
笑ったり泣いたりもするから。
きょうだいゲンカみたいなことも増えるのだろう。

なんとなく思い出した。
小さい頃、弟と遊んでいるとどうしても弟が泣くことがある。
いわゆるきょうだいゲンカというやつだ。
私と弟は2才違い。
4才と2才のときもそういうことがあったし、7才と5才ぐらいのときにもそういうことがあったと思う。
何才までそういうことがあったかはあまり覚えていないけれど、多分私が10才になるくらいまでは日常的にあったんじゃないかと思う。
そういうときには、まず母親が飛んできた。
で、どうしてこんなことになったのかとか、なんでそんなことするのかとか、そんなことを兄である私に聞いただろう。
ごちゃごちゃ言っていてなかなか解決しないと、今度は父が足で大きな音を踏み鳴らしてやってくる。
そして何やら喚き散らしていたのか、それとも大声で一喝したか。
あまり覚えていないけれど。
それで一件落着するのが大体のパターンだった。
父がやってきて話が収まるのは、別に父の職業が裁判官だったからではない。
父が偉くて正しかったからでもない。
ただ単に、それ以上母が何も言えないくらいには高圧的だったし、私にとってはただ単に暴力的で怖かったからだ。
打たれたり蹴られたりしたことがないわけじゃないから、毎回そんなことをしなくても、彼が足を踏み鳴らして来るだけで大変な恐怖だった。
父が近づいてくるのがあまりにも怖かったので、その後のことはよく覚えていないのだ。
大きな声でも出されれば、どんな事情があれ謝るしかなかった。
これが、私の知っているきょうだいゲンカの解決法だった。
今の私にはわかる。
これは、最低だ。
ただの虐待でしかないし、それ以外にも色々最低なのだ。
まず、暴力や、暴力的な行動で解決しようとするのが最低だ。
子供は父親に対して萎縮するしかないし、何か事情があっても理解してもらえるという安心感は全く持てない。
それから、母親には解決できないと決めつけて、一応かりそめにも母親がきょうだいに寄り添ったりヒアリングしたりしていることをぶち壊していることも最低だ。
これでは母親の権威は失われるしかないから、母親が一人で解決しようというときにも暴力で解決するしかなくなってしまう。
いや、人によってはそんなことはないのかもしれないけれど、少なくとも私の母親はそうなったのだと思う。
私は、弟を泣かせると親に打たれる、とかなり小さい頃から知っていた。
そして今の私にはわかる。
弟を泣かせていたのは私じゃないのだ。
がまんできない幼児がいて、さらにがまんできない2才年下の幼児がいて。
あるいは単純に同じ遊びをしようと思っても力の差が歴然とある幼児のきょうだいがいて。
二人で遊んでいれば必ず弱いほうが泣くのだ。
こんなことは火を見るより明らかだ。
「『弟を泣かせると』怒られる」、と私が思っていたのは
「なんで泣かせるの!」
「弟を泣かせちゃダメ!」
と言われていたからで、実際は私が泣かせていたからではない。
弟は、泣くべくして泣いていたのだ。
勝手に。

今の私にはわかる。
二人の子供が遊んでいて、父親である私が同じ屋根の下にいる。
奥さんが飯を作っている。
たいきとのはながなにかやっていて、のはなが泣く。
私がたいきを叱ったら、私は頭がおかしい人だ。
このシチュエーションで、のはなが泣いたら、悪いのは私だ。
私が一緒に遊んでいたら、そんなことにならないのだ。
3人で遊ぶにせよ、たいきに対してはたいきにふさわしい力で、のはなに対してはのはなにふさわしい力で遊んでやればいい。
あるいは、たいきがたいきなりに正当な理由で何かを独占してのはなが悲しい思いをするなら、私はのはなを慰めて別のものを与えてやればいいのだ。
別に、兄は、妹を泣かせたくて意地悪しているわけじゃない。
たまたま最近遊んでいなかったおもちゃでのはなが遊んでいて、それが面白そうだと思い出したとともに、それが自分のものだったことを思い出してしまっただけなのだ。
そのことを責めてもはじまらないし、責めるようなことでもない。
むしろ、ちゃんとその気持ちと権利を認めてやることで、たいきはちゃんと自分のおもちゃをのはなにシェアすることを覚えてくれていると思う。
大変残念ながら、そんな風に父と弟と遊んだような記憶はない。
休日に外に出て3人で遊んだようなことはあったにせよ、母が飯を作っているとき、母が飯の後片付けをしているとき、普通のサラリーマンよりは遥かに早い時間に家に帰ってきていた父は、いつも寝っ転がってテレビを見ていた。
今の私にはわかる。
単に、めんどくさかったのだ。
家事もしない。
育児もしない。
それが当たり前だった、という理解でもいい。
端的に言って、私の父親はクズだった。
九州男児の裁判官だ。
DVでモラハラの典型例が服を着ているようなもの。
子供の世話は妻がするもの。
そしてそれができないときは、一言で言えば、長男に下の子の世話を押し付けていたのだ。
きょうだいで仲良く遊ぶようによく言われたし、きょうだいは仲良くするべきだとよく言われたけれど。
単に、下の子の面倒を見させられているだけだった。
そして、私の能力不足で弟が泣いていた。
そして、何もしない父から暴力的に怒られた。
今の私にはわかる。
最低だ。
保育園では、誰かがすごく怒られるようなケンカは起こらない。
なぜなら、ちゃんと先生が一緒に遊んでいるからだ。
つまり子供同士が一緒に仲良く遊ぶにはそれは必要なことなのだ。
いや、別にケンカをしちゃいけないわけじゃない。
もちろん家事だってしなきゃいけないから子供二人にいつも張り付いていられるわけじゃない。
下の子が泣いたら、上の子は年齢に合わせて下の子が泣かないようにすることを覚えていってもいいのかもしれない。
でも下の子が泣いていて困ってるのは上の子だったりするから、上の子だってケアしなきゃいけないし、下の子だってケアしなきゃいけないということの方が、ずっと先だ。
そういう諸々は、色々四捨五入して、言う。
きょうだいゲンカを、大人が、親が、自分の手抜きや段取りの悪さを棚に上げて怒鳴ったり殴ったりするのは絶対違うと思う。
これは肝に銘じておきたい。

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