完璧じゃなくていいのか
「完璧じゃなくていいと思うんだ」
と奥さんに言われた。
なるほど。
完璧じゃなくていいのか。
もちろん、完璧であろうと思っているかと言われると、そんなの無理というのは分かっているつもりでも、ある部分で、私は完璧を目指しているんだと思う。
私が先日みたいにやらかしたときに、奥さんは何も言わない。
「もちろん手を上げるとかは論外だけど、やらかしたときは、ちゃんとごめんねっていうことが大事だと思うし。」
「どうせ、あなたが一番わかってるし悩んでるし考えているのは分かってるから、言ってもしょうがないもの」
そうか。
お見通しってわけだ。
そして、見通したうえで、一応、それでいいと思ってくれているらしい。
私は奥さんが比較的完璧な人だと思っているし、少なくとも私よりはだいぶ立派な人だと思っている。
そんな奥さんが、そんな風に言ってくれて少しほっとした。
奥さんがこういう風に考えてくれるのはとてもありがたい。
奥さんがそういう風に見てくれているのもとてもありがたい。
私はスタンスを変えられるかはわからない。
全然完璧じゃないから苦しいし、完璧を目指しているから悲しいこともある。
変えた方がいいところもあるかもしれないけれど、どう変えていいのかはいまいちわからない。
奥さんがそういう風に言ったということは、少し変わったほうがいいよ(楽だよ、変わっても大丈夫だよ)ということなんだろうとは思うから、少しでも理解して取り入れたい気持ちはあるのだけど、いかんせん難しい。
まあ、心にとめておけば、いつか少しくらいは変われるかもしれない。
たいきは2メートルくらいの高さの滑り台を逆から登れるようになった。
いきなりだった。
のはなは一人で同じ滑り台を滑った。
たいきは同じくらいのとき同じように一人で滑って、しりもちをついて頭を打って、それから1年くらいは滑り台に近寄らなかった。
のはなは尻もちをついて驚いた顔をしてはいたけれど、そのまま抱っこをせがみ、滑り台の上を指さした。
あそこにもう一度連れていけ、ということだ。
なんともたくましい。
親はなくても子は育つ。
親はあっても子は育つ。
私がまごまごしてる間に、二人ともどんどん成長して、気づいた時にはもう大人になっちゃってるかもしれない。

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