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「不徳の致すところ」の本当の意味

ニュース関連

お笑い芸人の渡部健が何やらご乱行だったそうで、そのことについて

今回の報道に関しましては、私の不徳の致すところであり、家族を深く傷つけ、また、普段お世話になっている仕事関係の皆様、応援をしてくださる皆様に対し多大なご迷惑をおかけしたと大変猛省しております(渡部建、不倫報道に謝罪「私の不徳の致すところ。猛省しております」妻・佐々木希にも謝罪/スポーツ報知

というコメントを発表しているらしい。

どうもこれには違和感がある。

その違和感について説明したい。


徳が高いとか、徳が足りないとかいう言い方がある。

だから徳というのは身につくものなのだけど。

どうも辞書とかを見ると徳のことを「品性」とか「正しい行い」みたいなことが出てくるのだけど、これは違和感がある。

正しい行いをしたりして高めることができるのが「徳」なのであって、正しい行いそのもののことではない。

また、品性、というのも違うと思う。

品性のいい行いをしていれば自然と徳が高まるのだとは思う。

でも、仏陀は生まれながらに徳が高いから「天上天下唯我独尊」と言えたわけだし。

また、徳が高いのは必ずしも本人の力ではなくて、前世や先祖が善行を積んだから徳が高いという考え方も普通にある。

この場合は、その徳は、その人の才能や財産といった形で現れる。

先祖がいいことをしたから、その報いとしてこの人は徳が高くて、その結果として才能に恵まれているというわけだ。

他にも、珍遊記という漫画に出てきた玄奘というお坊さんは徳が高いのだけど、人格的にはかなり問題がある。

切れやすいし暴力的だ。

じゃあなんで徳が高いのかというと、しっかり仏道修行をしているからで、その徳の高さの表れとして法力というか、ようはホトケパワーを使った魔法のようなものが使えるのだ。

これも徳の高さを正確に表現していると思う。


つまり、徳というのは「自分の善行や修行、あるいは先祖や前世の良い行いによって体の中(魂?)に蓄積されるエネルギーのようなもの」で、それがあると周りの人が味方してくれたり財産がたまりやすかったりピアノが上手に引けたり魔法が使えたりラッキーなことが起こったりする、というわけだ。

不徳といのは、この徳がないことを意味する。

徳がないと何が起こるかというとアンラッキーなこととか不吉なことが起こったりする。

別の言葉で言えば、日頃の行いがよくないというやつだ。

前世や先祖の徳に頼れない人が徳を身に着けるには、いいことをしなければならない。

それが足りないと、徳が足りなくなるのだ。


私の不徳の致すところです、というのは日頃の行いがよくないせいでご迷惑をおかけいたしました、という意味だ。

決して、悪いことをしてご迷惑をおかけした、ということではない。

例えばこれ。

博多華丸大吉の有名な「YouTuberになりたい」というネタ。

冒頭で華丸さんが坊主頭になっていることを説明するのだけど、実は福岡限定で放送される「明太子を作った男」というドラマの主役をやるために坊主頭になっている。

それを大吉さんが「この年の坊主頭は謝罪か大病かと思いますよね」とまぜっかえした後で「全国の皆様にはわけのわからない坊主頭ということになっておりますね」というようなことを言う。

その髪型で皆さんをお騒がせしてますよ、というわけだ。

それに華丸さんが「不徳の致すところでございます」と返すのだ。

華丸さんは悪いことをしているわけではないのだけれど、結果として全国の皆さんに心配をかけた。

だから「不徳の致すところ」というわけだ。


だから例えば、こういうシチュエーションならいい。

週刊誌か東スポか何かにあいつが悪いことをしたらしい、とか、あいつがどうもおかしいらしい、というような記事を書かれた政治家だか芸能人だかがいたとする。

結果として誤報だったのだけど、その話題でしばらくはワイドショーだのSNSだのが騒ぎになっていた。

誤報だとわかって一通り収まったところで本人が記者会見か何かに登場して、インタビュアーから

「いろいろ言われて大変でしたね」

「いや、私の不徳の致すところです」

と、こうだ。

つまり、今回は自分は悪くなかったのだけど、そもそも日頃の行いがよくないからこうやって叩かれたりして世の中を騒がせることになった。

今回の騒動の直接の原因ではないにせよ、これもみんな私の「不徳の致すところです」というわけだ。

元気なころの立川談志や横山やすし、あるいはビートたけしあたりが言えば「今回は違ったけどまあ普段から色々騒動起こしてるから仕方ないよね」という意味にもなる。

悪いことをしたことがないような人がたまたまやり玉に挙がってそんなことになっていたのであれば、また違う意味になる。

この場合は、そうやって騒動の原因を作った貴社だのマスコミだのを責めませんよ、私が無条件に信頼されるような徳の高い人物じゃなかった、あるいはこんな騒動に巻き込まれる程度の徳しかなかったのが悪いんです、もっと日頃の行いをよくします、と謙遜しているわけだ。


政治家なんかがこれを言うわけだけど。

その場合は基本的には「直接的な因果関係が自分の行動と結果の間にあるわけじゃない、あるいはそこは確定してないから責任は認めないし、議員を辞めたりはしないしけれど、一応謝っておけばなんとなく収まるだろうから謝っておく」というときに使われる。

今回悪いことをしたわけじゃないけど、日頃の行いがいまいちだったせいで徳が足りなくて、皆様にご迷惑をおかけして申し訳ありません。

というわけ。

あまり褒められた謝り方ではない。

というか、正確に言うならば、責任逃れの言葉でしかない。


繰り返しになるけど、前世や先祖の徳に頼れない人が徳を身に着けるには、いいことをしなければならない。

それが足りないと、徳が足りなくなるのだ。

つまり「不徳の致すところ」というのは「善行が足りませんでした」という意味だ。

まあ、正確にはその中には、悪いことをした、ということも含まれるとは思うけれど。

でもドロボウは「不徳の致すところです」とは、やっぱり言わないだろう。

もう少し、というか、かなり軽いシチュエーションで使う言葉だということだ。

それが、冒頭の違和感の正体であった。

昨日はこんな写真しか撮れなかった。不徳の致すところ。
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