子供二人と三人で過ごす
今日は午後から奥さんがお出かけだった。
たいきはなかなか落ち着いていない。
というか遊びたくてしょうがない。
YouTubeなんか見てくれてたり、今日はゴジラ対メガギラスもシンゴジラも一通り見たけれど、そんな間にもちょいちょい戦いごっこを挑んでくる。
最近は、自分の作ったブロックの作品(?)を部屋のあちこちに隠して、それを探す遊びもよくするようになった。
自分で隠したのに「いっしょにさがそう」といって私を引き連れて探し回るのだ。
何が楽しいのやらと思わないでもないけれど、探検ごっこみたいなことなのだろうか、とにかく楽しそうだ。
のはなはのはなで結構なスピードでハイハイもできるようになったし、始終なにか口に入れてあむあむしている。
口に入れちゃダメなものをいれているときは「のはなさん」と呼ぶとびくっとしてこっちを向いて、あれ?だめだった?みたいな顔をしてゆっくり口から出す。
あっちにいっておもちゃ箱をひっくり返し、こっちに行って床に落ちている食べ物のかけらを拾って口に入れようとする。
遠くにいてもなかなか目が離せない。
で、それはそれですぐ飽きてこっちにハイハイしてきて抱っこしてくれと叫びだす。
まあ、なかなか気が休まるときがないのだけど、三人で入る風呂はだいぶ楽になった。
たいきは話せばわかるようになってきたので、あれしてこれしてと言えばそこそこ聞いてくれるし、風呂の中で待っててくれとか、湯船の中でつかまり立ちののはなを支えておいてといえばちゃんと支えていてくれる。
たいきの体を洗っている間はのはなもそこそこ大人しく床に座っていてくれた。
私の体を洗っている間は、たいきが風呂の中で支えてくれていたけれど、重いというので手を放していいよというと、意外とちゃんとこけずにつかまり立ちしていた。
もちろん髪を洗う時間も含めてその状態で目を離すことは片時もできないけれども、とにかく手を放しても大丈夫になったのはありがたい。
なんだかんだで二人に軟膏やら保湿剤やら塗って、二人まとめて寝かし付けして。
やっと一息ついた。
一日のことを振り返ると、二人の笑い声や笑顔ばかり思い出す。
いい一日だったと思う。
横田めぐみさんのお父さんがなくなったそうだ。
活動の原動力となっためぐみさんへの思い、だか、活動を支えためぐみさんへの思い、だか忘れたけど、とにかくそんな感じのあほなことをNHKのニュースが言っていた。
13才でいなくなった娘に、一目会ってから死にたい。
それは人生最大の目標だっただろうし、人生唯一の希望だっただろうし、お会いになれなかった以上、それが彼の人生そのものだっただろう。
疲れたから活動辞めます、というようなものではなかったはずだ。
無念を思うと涙が滂沱として禁ずるを得ない。
晩年は入院されていたそうだけれど、夢枕でも、もうろうとした幻覚でもいいから、彼が一目めぐみさんとお会いになってから亡くなったのだといいのだけど。
病床にもめぐみさんの大きな写真を飾られていたとのことだった。
こんな言い方はよくないかもしれないけれど、めぐみさんがまだ存命なら、彼が泉下でめぐみさんにお会いになるにはもうしばらく時間が必要なんだろう。
とにかく冥福をお祈りします。
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