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春の夜の月雑話

バラエティ

ニュースを見ても、ネットでも、電車でもカフェでもコロナコロナで辟易。


家路の途次、ふと空を見上げると、それはそれは奇麗な満月が出ていた。

何があっても月は満ちるし、空に輝くのだ。

見上げれば浮かぶ望月

夜は夏、月は秋ぞとなに思いけむ

浮かぶ望月、のところをもう少し何とかできないかと思う。

春であることに鑑みれば「かすむ望月」とでもするのだろうけれど、残念ながら本当にきれいな満月でみじんもかすみなどしていないのだ。

月を眺めながら少し考えたけれど、私の詩才ではこの程度とあきらめてこれで完成とすることにした。

空を見上げたら、満月が出ていた。

夜といえば夏がいい、月は秋の月が一番だなんて、どうして思っていたんだろう。

春の夜の月も最高だぜいえーい!

という意味だ。


見渡せば山もとかすむ水無瀬川

夕べは秋となに思いけむ

という歌の本歌取りだ。

たしか新古今和歌集か何かの、後鳥羽上皇だかの歌だ。

あいまいで恐縮だけれど、調べればすぐ出てくる程度のことをあえて調べずに書いてしまう。

「かすむ」というのは霞が出ていることで、いわゆる霧と同じだけど、春は霞、秋は霧なのでこの歌は春の歌。

見渡すと山のふもとにかすみのかかった水無瀬川が見える。

夕方と言えば秋が一番だなどと、なぜ思い込んでいたのだろう。

という意味。

同じ新古今集に三夕(さんせき)の歌と呼ばれる、秋の夕暮れを歌った歌がある。

さびしさはその色としもなかりけり 真木立つ山の秋の夕暮れ(寂蓮)

心なき身にもあはれ知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ(西行)

見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ(定家)

で、寂蓮のは「紅葉」の秋じゃなくて「真木(杉とか檜木)」の秋もいいよ!という意味だったり、定家のも源氏物語やら古今和歌集やらの本歌取りだったり、さかのぼればさかのぼるほどどこまでも行ってしまうような話なのだけど。

とにかく、多分「秋は夕暮れ」といった清少納言の影響とかもあったか、それ以前からなのか知らないけれど、夕べは秋というのが常識で、それを逆手に取ったのが「やまもとかすむ水無瀬川」なわけ。

方丈記だか無名抄だか忘れたけど、鴨長明も

秋の夕暮れの空の景色は色もなく、声もなし。いづくにいかなる趣あるべしとも思えねど、すずろに涙のこぼるるがごとし。(秋の夕暮れの空の景色は大してめぼしいものがあるわけじゃない。どこにどんな情趣があるとも思えないのだけれど、むやみに涙が流れるようだ。)

と、清少納言の「秋ヤバ!秋ステキ!秋サイコウ!」というテンションとは違うながら、やっぱり秋の夕暮れをべた褒めしている。


夜と言えば夏、というか、枕草子に「夏は夜」とある。実は清少納言は秋は夕暮れと言いながらも、それに続けて

日入りはてて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。

と、日がすっかり沈んだあとの風の音、虫の声なんかもいうまでもない(超いい)とほめているので、秋の夜だって絶賛なのだけど、「夏は夜」の後に「月のころはさらなり(月の出ているころについていうのは今更という感じがするぐらい当たり前にいい)」と夏の月を絶賛しているので、夜は夏、ということにしておいた。


実は春の夜をほめた詩歌を知らないわけではない。

蘇軾の「春夜」が一番に思いつくひとは少なくないだろう。

何しろ

春宵一刻値千金

だ。春の宵は一刻が千金に値する、というわけだ。

花有清香月有陰

花の香、おぼろ月も最高だ、と続く。

それから、

春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる

というのもあるけれど、これはまあ梅の香りをほめた歌で、月は関係ないな。

徒然草には

花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に向かひて月を恋ひ、垂れ籠めて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ

これはひねくれていて、花は満開じゃなくていいし月も雲に隠れているくらいがちょうどいい、と言っている。

雨空を見ながら月が恋しいと思い、部屋にこもってしまって春がどうなっているのかわからないなんていうのもなお一層いいし、もうすぐ咲きそうな枝、花の散ってしまった庭なんかも見どころ多いぜ、だそうだ。

どうも、あけっぴろげでストレートな清少納言に比べると、鴨長明にせよ兼好法師にせよ、スノッブというか、斜に構えた感じがが鼻につくのはインテリ男性の癖なのだろうか。


願わくば花のもとにて春死なん、その如月の望月のころ

と歌ったのは西行。

如月なので、今の3月だろうからひと月違うけど、桜満開の満月と言えば、今日あたりのこととも思える。

ちなみに西行法師はご希望通り実際に如月の16日に亡くなったそうだ。

月やあらぬ、春は昔の春ならぬ

わが身ひとつは元の身にして

これは在原業平。

月はあるだろうか、春は昔の春と同じ春なのだろうか。私の身体だけは元の変わらぬ私なのだが…

まあ、春を歌った歌だと思うと狂気じみているけれど、月だの春だのを、自分を捨てた女性の心とか、女性との思い出だと思えば(実際、伊勢物語の歌なのでそういう解釈になるけれど)こんなものかもしれない。

未練たらたら。

しかし和歌にすると趣深い。


あんまり今日の月がきれいだったので奥さんにも見てもらいたいと思って

「今日はすごく月がきれいだったよ」

と言ったら

「ああ、スーパームーンね」

とのこと。

そうか。

今日はスーパームーンなのかぁ。。

たいきを抱いてベランダに出て月を見せたら、

『うさぎしゃんがいてこわい』

と言って、なぜか網戸越しに見ていた。

それなら怖くないらしい。


さあ。

せっかくだからもう一度外に出て月を眺めてから寝るとしよう。

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