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たいきはたまご焼きのレタスを全部食べた

日記

私の母方の祖母はもうだいぶ前に亡くなったのだけど。確か、大正4年とか5年とかの生まれだった。

関東大震災が来たのが大正12年。

まだ幼い少女だった祖母は、その日、母親を失った。


そのお父さんは大学の教授だったので、まあ、貧乏な方ではなかったんだろう。

家政婦さんを雇って家族の世話をしてくれていたようだから、そんなに生活に不自由はなかったのかもしれない。

祖母は母親についての思い出話というのは、母親がいなくてつらかったというような話も含めてほとんど私にはしなかったから、残念ながらあんまり詳しいことは分からない。

ただ、玉子焼きを作ってくれた時に、こんな話を聞いた。


学校にお弁当を持っていくのだけど、その中に入っている玉子焼きはいつも黒くて、塩辛い、醤油で味付けしたものだった。

少女だった祖母は、友達の弁当に入っている黄色くて甘い玉子焼きがいつもうらやましかったらしい。

家政婦さんに甘いのを作ってほしいと頼んだこともあるのだけど、

「私はこれしかできません」

と作ってくれなかった、と。

祖母の作った黄色くてふわふわの、甘い玉子焼きを食べながらそんな話を聞いた。

私も決してうまいとは言えないけど、食べるための料理くらいはするようになった。

玉子焼きを作るたびに、この話を思い出すのだ。


今日は、奥さんが早朝からお出かけなので、たいきの朝ごはんを作ってやる。

献立は、ツナマヨのサンドイッチと玉子焼き。

野菜を食べられるように、ツナマヨには新玉ねぎをたっぷり入れた。

玉子焼きには、細かく小口切りにしたソーセージと、刻んだレタスと、新玉ねぎのみじん切り。

先日作ったときはピーマンとベーコンを入れたのだけど、たいきはピーマンは嫌と言って、細かく刻んだピーマンを全部よけさせられて大変だったから、今回はピーマンはパス。

お手伝いしたいというので、どちらもたいきに混ぜてもらった。


そのうち祖母の、つまりたいきのひいおばあちゃんの話もしてやらなきゃなぁ。

最近見た「リメンバーミー」によると、子孫が語り継いでくれる間は死者の国で生き続けられるらしいし。

「おばあちゃん、俺も玉子焼きを子供のために作ってやったんだよ。あまーい玉子焼き。おばあちゃんが作ってくたみたいに上手にはなかなかできないけど。」

ちゃんとたいきやのはなに語り継いでいれば、いつか私も泉下に行ったときに祖母とそんな話ができるかもしれない。

そんなことを考えながら作った玉子焼きは、少し甘すぎたかもしれないけど、たいきは美味しいと言ってレタスや玉ねぎをよけることもなくきれいに食べてくれた。

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