育児ってなになのか考える
新型コロナウイルスの対策のためにリモートワークやらで家にいることになった父親が、幼児や小学生の世話をすることになって、何をしていいかわからず困っている、とうような話があるらしい。
普段からやってないと、こういうところでしっぺ返しを食らうんだろう。
まあ、私はのはなとたいきの世話を一人でする日もあるから、そういう意味ではその程度のことで困ることはない。
しかし、そんなことで困るレベルの人と比較して満足しているわけにもいかない。
果たして私はちゃんと育児ができているんだろうか。
そもそも育児ってなんだろう。
私の父は私に随分勉強を教えてくれた。
何しろ勉強についてはエリート中のエリートだ。
土日に限ったことではあったけど、毎週何時間も教えてくれたものだ。
しかし、何か違う。
それは育児ではない気がする。
何が違うんだろう。
私の父は母が料理をしていようが片付けをしていようが、寝っ転がってテレビを見ていた。
掃除をしているところも見たことはない。
食材をスーパーで買ってくるなんて姿もついぞ見たことはない。
ゴミだしだってしてなかった気がする。
私が小さい頃は公務員だったから『家に帰るのは早かった』なんて先日会ったとき自慢してたけど、そんなもの自慢にはなりはしない。
家にいたってトドかマグロにでもなったように寝転がってるだけならいないほうがましだ。
まあ、風呂くらいは入れてくれてたのかなぁ。
そんなに小さい頃のことは覚えてないけど。
九州の男性というやつだからその程度で自慢したくなるのもどうしようもないのかもしれないけど。
いまの私には、そんな風に過ごせることが信じられないし、そんな人が育児をしてたと主張したところで鼻で笑ってしまう。
別に得意不得意で分担するのが全部悪いと言うつもりはない。
でも、それでもあえて言えば、育児っていうのは子供にとって必要なことを、自分が得意だろうが苦手だろうが問答無用でやることなんじゃないかと思う。
そもそもご飯の支度(料理、じゃなくて、したく、だ)だの、食べたあとの片付けだのなんて苦手もへったくれもない。
それをしないのは、苦手不得手だからじゃなくて、ただやりたくない、めんどくさい、体を動かしたくないからなのだ。
自分がやりたくないことを誰かに押し付けて、自分は寝っ転がってるなんていうのは育児以前に人としておかしいとは思う。
まあ、それはおくとしても、そういう家事一つひとつの積み重ねが育児なんじゃないかとも思うのだ。
さて。
まあ、私がやれてるかどうか、やってるかどうかは奥さんが考えればいいし、たいきやのはなもそのうち大人になったときに考えてくれるかもしれない。
私は、せいぜい慢心せずに、できてないできてないと念仏のように唱えながら、そしてそれなりにサボりながら、やっていこう。

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