おじいちゃんの記憶とお父さんの記憶
なんか書こうと思ってたことがあるのだけど、たいきがせっかく寝ていたのはなを起こしてしまって、しかものはながぎゃあぎゃあ泣くその隣ですーっと眠ってしまって。
こちらはのはなを縦抱っこしたり横抱っこしたり音楽を聴かせたり子守唄を歌ったり。
ようやく泣き声が、それでも大分泣きつかれて来て、目もやたらこすってるし、あと少しで寝そうかなというところまできたところで奥さんが風呂から上がってきて。
お母さんと目があったらもう、お母さんなしじゃ眠れないのはななわけで。
引き取っていただいて、一息ついて。
いやー。
なんだっけ。
そうだ。
最近毎晩のようにたいきがぐるぐるをしてほしがる。
正確にはぐるぐるどーん、だ。
ベッドの横のスペースでたいきを抱き抱えてぐるぐる回る。
目が回ってきたところで、ふたりでベッドにどーんと倒れこむ。
これを何度も何度もやる。
きゃあきゃあ言って喜ぶけど、こっちはとなりの部屋で寝てるのはなが起きないか気が気じゃない。
それでも
『もういっかいだけ!』
『あといっかいだから!』
と言われると断れない。
それが際限なく続く。
ぐるぐる回りながら、普通こういうのっておじいちゃんがやるんじゃないのか、と思った。
私の祖父はもちろん二人いるけど、一人は盲目だったのでこういう遊びはしなかった。
私を抱いたり抱えたり振り回したりして遊んでくれたのは、母方のおじいちゃんだ。
背の高い、タバコのにおいのするおじいちゃんだった。
祖父のことを思いだしながら、おや?と思った。
別にこれは、一般的に父ではなく祖父がすべきこと、なんて。
そんなことはないな。
「私の小さな魔女を見せておくれ」
と言ってキキを抱き上げたのはお父さんだった。
普通に、お父さんがやっていいことだ。
普通に、お父さんがやることだ。
もちろん3歳くらいの頃の記憶なんてあんまりない。
そのくらいのころのことで覚えてるのは、ブランコから落ちてそこにブランコが帰って来て頭にぶつかったような記憶と、風邪を引いて夜中にけほけほしてたら「うるさい!」と怒鳴り付けられた記憶くらい。
大していい記憶ではない。
もうずいぶん長いこと見てないけど、おすわりができるようになった頃の写真で、父の口に手を突っ込んで、父が笑ってる写真がある。
だから別に、特段厳格すぎる父ではなかったのだろうけど、父に抱かれた記憶というのはびっくりするくらい無い。
抱いてくれたのに全然覚えていないならずいぶん残念な話だし、大して抱かれもしなかったならこれまた残念な話だ。
たいきは今夜のことを覚えているだろうか。
まあ、覚えてないだろうなぁ。
でも、とはいえ、毎晩毎晩抱いてやれば、お父さんは抱っこしてくれるものだと思ったまま大人になるのだろうか。
そして、いつか子供ができたとき、私がたいきにそうしたように子供を抱いて、私のことを思い出すのだろうか。
私のことを思い出してもらえるだろうか。