英語でしゃべる
忘れられない英語の授業がある。
高校一年生の時の、最所の英語の授業だ。
カッパみたいな髪型のハイテンションな先生が入ってきて、黒板にこう書いた。
『長い目で見てやれよ』
これを、簡単な言い方で作文しろという。
自慢じゃないけど、私がいた学校は国内有数の進学校といっていいレベルの学校で、卒業生は毎年何十人も東大に入るし、早慶や一橋でも入った学部によっては馬鹿にされる。
大変失礼ながら東京六大学でも明治やら法政やらにいくのは落ちこぼれ(立教は横浜から遠いので誰も受けない)という学校。
一言で言って、秀才君の集まりだった。
みんな一生懸命考える。
長い目で、というのはin the long runとかいうのだ。
それはどっかで習って知っている。
見てやれって言ったって、ほんとに見るわけじゃないからlookだのseeだのを使わないんだろうということはわかる。
てことはwaitとかかなぁ。
この動詞を見つける問題なのだな、とみんな思い込んで色んな答えをいう。
しかし先生はなかなか正解と言わない。
そこでヒントが出た。
正解はなんと3単語らしい。
じゃあそもそもin the long runは使えないのだ。
何か日本語で言い換えて、知らない英単語に訳すのかなとまたみんな色々考える。
長期的な、なんて英語では何て言うんだろう。
ゆっくり、ならslowlyだろうか。
鷹揚な、だったらどうだ。
45分だかの授業も終わろうという頃になって、先生がようやく答えを教えてくれた。
Give him time.
これだ。
秀才君達がみんなショックを受けた。
全部中1で習った単語だ。
先生が最初に言った『簡単な言い方』には100%合致してる。
文句のつけようもない。
あいつに時間をやれ、だから、長い目で見てやれよ。
完璧だ。
(ちなみに男子校なのでherとかsheとかいう単語は習っていない。)
この話を英語ペラペラの奥さんにしたら、3秒もかからず正解を出した。
英語がしゃべれる人にとっては当たり前の言い方らしい。
最近、私も英語を話すようになった。
しかしまあ、見事に中学校の、それも二年生くらいまでに習ったような英単語しか使わない。
それで十分なのだ。
substitute(代替)とimmediately(即座に)とかunfortunately(残念ながら)とか、長ったらしい単語をたくさん覚えたけど、使わないのだ。
スプーンの代わりに箸を使う、なら
I eat with HASHI, not spoon.
即座にやれ!は
Do it now!
残念ながら彼は来ない、は
i’m sorry. He won’t come.
アイムソーリーを残念そうに言うのがポイントだ。
昨日の記事に書いた
おれ、この曲この映画で一番興味ないんだよね、は
I like this movie. But not this music.
こんな感じ。
全部中1レベルだ。
そのくらいで習った単語で、大体のことはしゃべれるし、そもそも英語でしゃべってる人たちも日常会話で使う英単語はこんなもんだ。
もうひとつ、忘れられない思い出がある。
今度は英語を聞き取る方の話だ。
奥さんと新婚旅行でシアトルに行ったときのこと。
タクシーに乗り込もうとすると、頭にターバンを巻いたあからさまにインド人のドライバーが何か言った。
何を言われたのかさっぱり聞き取れなかった私は、ひどい訛りだなと思いながら、what?とかpardon me?とかいって聞き返して三回くらい同じ事を言い直させてしまったのだけど、やっぱりわからない。
とうとうギブアップして奥さんに『何か言ってるよ』と助けを求めた。
奥さんは笑っていた。
今ならわかる。
聞かなくてもわかる。
彼がしゃべったのが英語だろうが、ベンガル語だろうが、鹿児島弁だろうが関係ないのだ。
タクシーに乗ろうとした客にドライバーが言うのは『どこいくの?』に決まってる。
最近よくいくジャカルタのスターバックスでブラックティーを初めて自分で注文したときもえらく苦労をした。
ちなみに私はスタバには行くけどコーヒーは飲まない。
いつも紅茶。
で、お茶頼むだけじゃんと思うなかれ。
結構色々聞かれるのだ。
サイズは?
アイス?ホット?
砂糖はいれる?
支払いは現金?カード?
カードはサイン?PINコード?
カップに名前書くから名前教えて?
今はなんにも苦労しない。
なにしろ聞かれるとわかってるのだ。
ほにゃほにゃほにゃアイスほにゃ?
かなんか言ってたら、アイスって答えればいいのだ。
不思議なもので、何が聞かれるのかわかってることを思い出したら、ちゃんと聞き取れるようにもなった。
日本語で話してるときは、多分この、何を言われるのか想像して聞き取れなかったところを補完する、というのをいつもやってるのだ。
ところが英語になると、ひたすら耳だけで理解しようとしてしまう。
そして聞き取れなくて、耳が英語じゃないから、とか思い込む。
そうじゃないのだ。
英語を話せるようになるにはとにかく英語の会話をすることだとよく言うけど、これはそういうことなんだと思う。
つまり、英語でも日本語の時と同じように、耳より頭を使いながら会話するのだということに、慣れる必要があるということだ。
何しろインドネシア人だってアメリカ人だって、日常会話で使うのは中学生レベルの単語ばかりなのだから。
まあ、一生懸命分析してみたところで、まだ使いこなしてるといえるレベルでは全然ないのだけど。
奥さんなんかには笑われてしまうだろう。
まーた小難しく考えてるねって。
でも、こんな感じのことに気づいてから、どんどん英語がしゃべれるようになってきた。
上達したのでもレベルアップしたのでもないのだ。
ただ、しゃべれるようになった。
むしろunexpectedlyとかsophisticatedみたいな長ったらしい単語を全部忘れたらしゃべれるようになった感じ。
せっかく受験英語では偏差値70とか当たり前にとれるくらいまで勉強したのに、全然しゃべれないのがすごくくやしかった。
今年は、この勢いで、もう少し英語でしゃべれるようになりたい。
