ディズニープリンセスと父親、母親
美女と野獣のエマ・ワトソン版を見ているのだけど。
あ、いきなり余談なんだけど、私はどうも『実写版』という言葉を使うのが苦手。
私がまだ中高生くらいのころ、つまり25年くらい前。あのころはまだ、社会の人に認められている映画というのは全て実写のもので。
それをあえて『実写』というのはいわゆる『オタク』の人だけだった。
私はそこそこオタクだったので、銀河英雄伝説とか、そるこそディズニーとか、ジブリとか、高橋留美子先生やあだち充先生のマンガの映画とか、そういうアニメの映画なんかを見に行ったりもしていたのだけど。
『映画見に行ったよ』『実写の?』
というのは、つまりお互いオタク同士でしか成立しない会話だったのだ。
当時は男子高校生がアニメを見るというのは、ひどく後ろめたい、気持ち悪い、幼稚な行為というようなレッテルがあったと思う。
『実写』という言葉にはなんかそういう思い出というか、イメージが私のなかにまだつきまとっている。
閑話休題。このエマ・ワトソンの美女と野獣。
前にも書いたけど、ベルはアニメのベルよりも力強く、聡明に描かれている。
野獣の変わりぶりはもっとすごくて、ただの乱暴者だった彼が、シェイクスピアは全部読んでいて、あの大きな図書館の本も『ギリシャ語の本もあるから全部は読んでない』というくらい読んだらしい。
その他の振る舞いを見ても、もちろん粗暴で短気なところは残してあるものの、とてもエスタブリッシュで内省的な青年に『成長』している。
ところが、ベルの父親のモリスだ。
こいつがひどい。
見た目こそアニメの奇矯な老人から、紳士的な老人に変わってはいるものの、人物としては完全にボケ老人だ。
アニメのモリスは野獣の城には勝手に入ったものの、そのあとはちゃんとルミエールやチップ君に勧められてから椅子に座ったりご飯を食べたりしている。
野獣には怒られたけど、執事家宰達に歓待されてたわけだから、捕らえられたのは理不尽なことだった。
しかし実写のモリスはひどい。
勝手にはいりこんだあげく、勝手に席につき、勝手に飯を食い散らかし、挙げ句に庭に咲いている薔薇の花を折ってしまう。
明らかに、庭園で人の手をかけて育てられた立派なバラだ。
どろぼう呼ばわりされて投獄されたことに、あまり理不尽さは感じない。
というか、当然としか思えない。
前にも書いたけど、『アナと雪の女王』のエルサとアナの父親もひどい。
そこでいうと、アリエルの父親も、アリエルの宝物の部屋をぶちギレてめためたに破壊する虐待親父だ。
ジャスミンの父親も、スルタンなのにジャファーを重用したあげくに操られてしまったり、決して有能とは言えない感じだ。
白雪姫の父親もシンデレラの父親も、結局、愛娘をいじめるようなとんでもない女性を後妻に迎えたことが悲劇の始まり。
なんというか、どこかにまともな父親はいないものか。
ディズニーは父親が嫌いなんだろうか。
それとも白人の父親というのはみんなそんな感じなんだろうか。
んで、母親はどうしたのかなと思ったら、みんな出てくることすらない。
かろうじてエルサとアナの母親は出てくるけど、父親と一緒に海の藻屑。
そろそろ父親も母親も普通で、娘もちゃんとしてて、で、幸せになるっていう話もあっていいんじゃないかとおもう。
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