『やっぱり子供はお母さんがいい』
のはなが急に寝なくなった。
寝なくなったって言ったって、もちろん本当に寝ない訳じゃない。
とにかく、隣に寝ておしゃぶり、というのが一切通用しなくなったのだ。
年末に、これからは抱っこしようなんて考えていたものの、年末年始は義実家だったこともあってあんまりできていなかった。
義実家ではちょっと泣かせてるとばーばが『見てられない』といって抱っこをかわりたがるし、かわいそうがるので、新しい寝かしつけにトライする感じじゃなかったのだ。
とにかく昨日か一昨日くらいから、いつも通り布団に寝かせておしゃぶりをくわえさせても泣き叫び続ける。
抱っこも10分、20分やってもまるでだめ。
立ってゆらゆらしようが子守唄を歌おうが、はしゃぐか泣きわめくか。
奥さんがおっぱいを出してくれてようやく落ち着く有り様。
このまじゃ『やっぱり子供はお母さんがいい』を地で行くことになってしまう。
これは、いかん。
もはや、奥さんだって沿い乳もできちゃうし、のはなは相変わらず夜中はそんなに起きないから、奥さんに丸投げたらそれはそれでもう誰も困らない。
そんな状態になったら、もう私が父親である意味はどんどんなくなっていってしまう。
寝かしつけという、のはなが一番(私ができない授乳を除く)無防備に安心感を育む作業を放棄することは、父親として絶対にダメだ。
これは、私がのはなの父親であるための戦いなのだ。
ということで、今日は本腰をいれて寝かしつけをすることにした。
なんか、最近この感じ忘れてた。
そうだ。
『子供はやっぱりお母さんがいい』を読み直して思い出した。
たいきのとき、寝かしつけは大変だったんだ。
なんか最近のはながやたら簡単に寝るのですっかりなまっていた。
たいきのときは今ぐらいの頃は毎晩1、2時間抱っこしていてんだ。
寝かしつけ抱っこでゆらゆらしながらベートーヴェンの三大ソナタ(月光、悲愴、熱情のほう)のCD(この3曲で1時間ある)を丸々2回聞いたりしていた。
10分や20分の抱っこで寝ないとか、甘いことを言っている場合ではなかった。
奥さんとたいきがお風呂に消えた時点でのはながギャン泣き。
全然泣き止まない。
寝かしつけるのは諦めてまずは落ち着いてもらおうということで、のはなが最近好きそうだったYouTubeの動画をテレビで流してみる。
Grace Vanderwaalの『I don’t know my name』。
America’s got talentでゴールデンブザーを取ったときの動画だ。
ご機嫌で聞き始める。
よし。
落ち着いた。
そのまま何度か見ているうちにたいきが出てきたのでたいきの保湿やら着替えやらをやっているとのはながまたギャン泣きを始めた。
どうしようもない。
奥さんも上がってきたのでたいきを任せる。
二人が寝室に行ってからが本番。
いつもは私の寝室で寝かしつけようとしてたけど、それだと狭いしスピーカーの音もいまいちだ。
とにかく初心に帰って、リビングのステレオでベートーヴェンをかける。
たいきのときはルドルフ・ゼルキンのCDだったけど、それはどこかに行ってしまったので、ヴィルヘルム・バックハウスの全集から、熱情ソナタ。
結構しっかりした音量で、相変わらずのはなはギャンギャン泣いているけれど、気にせずしっかり抱っこ。
ゆらゆらじゃ全然足りないようので、うろうろ、ぐるぐるし始めたらようやく泣き止んだ。
それでもすんすん言っているのはなの背中をとんとんしながら、うろうろしていたら、第二楽章の途中で寝てしまった。
あとは呼吸が静かに深くなるのを、抱っこしたまま30分くらい待って、布団においたら一度目を開けたけれど、見事そのまま就寝。
やれやれ。
たいきのときは私は30代だった。
40才を越えたからなのか、なかなか疲れたような気がする。
しかしまあ、とにかくのはなは抱っこで寝た。
これを一晩一晩繰り返して、信頼関係を作っていくのだ。
明日もがんばろ。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません