きょうはおとーしゃんがしゅき
そろそろ「たいきのパパの雑記帳」というのはやめて、別のタイトルにしなきゃいけないだろうか。
何しろ、今や「たいきとのはなのパパ」だ。
なかなか悩ましい問題だ。
とはいえ、私はたいきとともに父親として成長してきた。
もちろん、まだまだひよっこなのはわかっている。
3年一緒に過ごしてきて、私はいま、ますますたいきのパパだ。
のはなの父親、たいきのパパ。
ちなみに、たいきが私をパパと呼んだことはない。
いや、なんか言葉を覚え始めたころにはあったかもしれないけれど、たいきは私のことを「おとーしゃん」と呼ぶ。
寝かしつけのとき、たいきが
「たいちゃん、きょうはおとーしゃんがしゅき」
と言ってくれた。
昨日も言ってくれた。
なんとも幸せなことだ。
「お父さんはね、たいきのことが大好きだよ。」
毎日一度は言う。
ずっと続けたい習慣だ。
たいきが断乳したのは去年の年末のこと。
そして、今年の前半、たいきはお母さんに抱きしめてはもらえたけれど、抱っこはしてもらえなかった。
6月には約1か月、お母さんがいない生活も経験した。
それから、今度は1か月お父さんとも離れて暮らした。
大きくなるお母さんのおなかを見ながら、妹ができることをどういう風に理解していたかはわからない。
7月にのはなが生まれて、たいきはお兄ちゃんになった。
授乳、抱っこ、寝かしつけ。
どうしたって、新生児ののはなが優先になる。
覚悟はしていたけれど、たいきは一時期甘えん坊になった。
やっぱりそうなっちゃったか、と思った。
こっちは二人いる。
奥さんと二人、たいきが寂しくないように、たいきの希望を最大限かなえられるように、頑張ってきたつもりだ。
できればたいきが幼児返りしなきゃいけないような変化にはしないであげたかった。
やり直すこともできないし、もちろんどうしようもないことだったこともわかっている。
私たちが反省するとかしないとか、そういうことではなく、純粋にたいきの気持ちを考えたとき、申し訳なかったなと思うのだ。
幸い、よく目にするようなひどい幼児返りはしなかった。
期間も短かったように思う。
たいきががんばってくれたということなのか、私たちもそれなりに頑張れたということなのか。
いずれにせよどんな風にたいきがこの変化を受け止めてきたのか、胸の内はわからない。
のはなはそうこうしながらたくましく成長してきた。
首が座るのも、お座りも、ずいぶん早いようだ。
もう、床に自分で座っておもちゃをひろってかたっぱしから一生懸命口に運ぶ。
お昼寝から起きたときなんかに、私が抱っこしようと手を差し伸べると満面の笑顔を返してくれるようになった。
抱っこされることがわかるのだ。
目鼻立ちもくっきりしてきて、いよいよ新生児から赤ちゃんになってきた感じがする。
まだまだのはなは99.999%お母さんでできている。
胎内でもらった栄養と、母乳。
残りの0.001%は予防接種のワクチンだ。
こちらにもそろそろ毎日「大好きだよ」というようにしていかなきゃ。
まあ、意識しなくても毎日言っている気はするけど。
たいきは今日
「たいちゃん、きょうはおとーしゃんがしゅき」
と言ってくれた。
実は昨日も同じことを言ってくれた。
二日連続は珍しい。
別に毎日言ってもらえなくてもいいけど、言われるのはうれしい。
たいきに好かれることもうれしいけど、それ以上にうれしいのは、たいきが「おとーしゃんがしゅき」と言えるというのはつまりたいきが幸せだということなのだ。
もちろん「おかーしゃんがしゅき」でも「じーじとばーばがしゅき」でもいい。
今日、一緒に過ごした人のことが好きなら、それはたいきにとってとても幸せなことだ。
2019年は今日でおしまい。
明日からは2020年。
再来年のことは再来年考えるとして。
来年一年くらいは、とにかく二人から好きと言われ続けられるような父親でいたい。
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