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病気が辛くて泣いている子になんと声をかけるのか

日記

たいきと小児科の病院に行ったときのこと。

ベンチに座っていると、隣にたいきより少し上の女の子を抱いたお母さんが座った。

女の子はかなり具合が悪いらしい。

熱は間違いなく高い。

さらに、嘔吐もしていて、今も、今にも吐きそうらしくて嘔吐用の器みたいなのを持っていてもらっている。

『熱を測ろう』

とお母さんが言うと、女の子は嫌だと泣き出した。

なんとか熱ははかったみたいだけど、そのあとも女の子はずっと

『いやー、いやー』

と泣いている。

よほど具合が悪いんだろう。

見ているだけで気の毒になる。


お母さんが

『がんばって』

と声をかけたのを聞いて、耳を疑った。

何度も言っている。

がんばりようなんかない。

大人だって吐き気と発熱があったらがんばれない。

『がんばって』

というのは、泣き止めということだ。

そんなのは無茶でしかない。


何度『がんばって』をやっても泣き止まないお嬢さんに、今度は

『何がイヤなの』

と言い始めた。

何がもなにもない。

とにかくいやなのだ。

吐き気がイヤなのか、病院がイヤなのか、とにかく辛いのを『イヤ』と言っているのか。

それを聞いたところで解決はできまい。

それに、お嬢さんはわかっているのだ。

何がと聞かれて、何がと答えても、次に返ってくるのはどうせ

『がんばって』

という言い方の、泣き止めという命令なのだ。

そんな質問に答える義理はない。

質問されていることも、答えることも『イヤ』なわけで、『イヤ』が増えただけのことだ。

とうとうお母さんは

『泣きすぎよ』

と言い放った。

女の子は、いっそう声を張り上げて泣いた。


女の子が求めていたのは

『つらいね』

『苦しいね』

という言葉だ。

人は辛いとき、老若男女を問わず、まず受容なり共感なりをされることを求めている。

そうして初めて、安心して何が辛いとか何が苦しいとか話せるようになるのだ。

これは、インタビューとかカウンセリングとかの基本で、心理学的なことなので個性など関係ない。

苦しんでいる人に

『苦しいというな』

と命令したり

『何が苦しいんだ』

なんて質問しても、攻撃と受け止められるだけなのだ。

まあ、本当に全人類がひとり残らずそうかと言われたら、そんなことはないかもしれないけれど。

少なくとも常識としてはそうだし、この子はそういう言葉がけで落ち着いたりは、もちろんしなかった。


このお母さんだってそうだ。

今のこのお母さんに

『そんな言い方はやめた方がいいですよ』

なんて言っても、まず間違いなく責められたと感じるだろう。

間違っても、この子のことを考えてくれる優しい人だ、とか、泣き止ませる方法を一緒に考えてくれてありがたい、なんて思われない。

『なんで泣き止まないんですか?』

なんて質問したら、このお母さんは責められたと思ってひどく傷つくだろう。

たとえ、一緒に泣き止ませる方法を考えるためにこちらが質問したとしても、だ。


このお母さん、傍目にはテンパった感じもしないし、余裕ありそうな感じではあった。

しかし、子供が泣いてて辛いし、大変だし、心配だし、回りにも気を遣うしで、見た目以上にいっぱいいっぱいだろうというのはわかる。

お母さんだって気の毒なのだ。

だから私は何も言わなかった。

何も言わなかったし、何も言えなかったけど、やっぱりお母さんのこと以上に女の子のことはとても気の毒に思った。

そういうお話。

インフルエンザ治りかけで、まだ寝室に隔離中だったたいきにアイスの差し入れ
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