たいきがお友達を泣かせたらしい

子育てを考える

とうとうこの日が来た。

まあ、いずれ来ることはわかってたけど。

たいきがお友達を泣かしたらしい。


奥さんから聞いた顛末はこうだ。

保育園からの帰りにここのところいつも一緒に公園に行くお友だち(仮名、ハル君)がいて、今日もお母さん二人と男の子二人、あとそれぞれ抱っこひもの乳児がひとりずつの計6人でいつもの公園へ。

例によってたいきはたくさんおもちゃを持っていっている。

ハル君がおもちゃを持ってきていたかは聞かなかったけど、私がお迎えのときはハル君もいつも何かしらおもちゃを持ってきていたから、今日も何か持っていただろう。

ハル君はたいきのおもちゃの中からいくつかを借りて砂場で遊んでいた。

たいきも砂場で遊んでいたのだけど、急に滑り台からおもちゃを全部滑らせる遊びがしたくなって、自分が遊んでいたおもちゃもハル君が使っていたたいきのおもちゃもカバンにしまって滑り台の方に行ってしまったらしい。

ハル君はもちろん悲しくなってハル君のお母さんに何か訴える。

お母さんは

「たいきくんに自分で言ってごらん」

とアドバイス。

ハル君はたいきに

「かーしーて」

と言ったけど、たいきはダメといった。

「あーとーで」

だったのかもしれない。

ハル君は泣いてしまった。

たいきはそれを尻目に

「つかれちゃったからかえる」

と言って公園の出口に走りだし、奥さんはどうしようと思いながら、ハル君のお母さんに

「すみません」

と言ってたいきを追いかけてそのまま帰った。


どうすればよかったかなぁ、と言われて、私も奥さんと一緒に眉間にシワを寄せてみたけれど、なかなか妙案はない。

一応、いくつも考えなきゃいけないことがある気がするので、考えを整理する。


とりあえずこういうときに逆の立場にならないように、おもちゃを買い与えているし、持ち歩くのも止めてない。

お友だちのおもちゃが羨ましくて泣くとか、暴れるとか、取るとか叩くとか、そういうことがないようにということだ。

私がお迎えでハル君と公園に行くときは、いつもたくさんのおもちゃをハル君に貸してあげている。

他の子と遊んでるときも含めて、基本的に「あーとーで」とか「だーめーよ」と言ってるのはほとんど見たことがない。

保育園でもたいきはいつもおもちゃを言われるままに貸してあげるのだと先生が言っていた。

いつも一緒にいる保護者に恐縮されてしまうけど、私はたいきに惨めな思いはさせたくし、鷹揚な子に育ったらいいなと思ってるので、とてもいいことだと思ってる。

しかしまあ、時には「あーとーで」「だーめーよ」と拒否してほしいとも思う。

だから、今回の事態はまあ悪くはない。


たいきがとったのは自分のおもちゃだけだったらしい。

しかし、貸してあげていた以上はちゃんと使っていた子の承諾は得るべきだ。

たいきは、お友達から借りたおもちゃはちゃんと相手のものだとわかっている。

つまり所有の概念はあって、でも、占有というのは所有よりも尊重しなきゃいけないことは分かってないんだろう。

日本の法律では、ひとに貸した車を所有者が勝手に持ち帰ったら窃盗になる。

これが所有より優先される占有の概念だ。

保育園では全てのおもちゃがみんなのもの(というか保育園のもの)だから、結構みんなおもちゃを譲り合って使っている。

「かーしーて」

「いーいーよ」

「あーとーで」

なんて言い合っているのだ。

どっちにしても、自分のだから無理に取り返すということは、保育園では発生しないのだ。


それから、親という字は

「木の上に立って見る」

と書くというあれ。

基本的に子供同士のいさかいにあんまり口を出すのはよくないと思う。

子供同士で解決した方がいいし、けんかだってするならすればいいのだ。

怪我だけしない、させないように気を配っておけばいいし、まあ、それも友達とのケンカの擦り傷やアザくらいなら今のうちに作っておいてもいいと思う。


さて。

たいきと風呂にはいったので、話を聞いてみることにした。

理想は

「どうしたらよかったかな」

とか聞いて、本人なりにハル君を気遣うことができて、何か改善案が出てくることあたりかな、と勝手にゴールを決める。

ちょうど今日、Twitterで保育園の5才児クラスの保育参加をして来たお母さんが、保育園の先生がそんな風にしていたというツイートをしているのを見かけて、なるほどと思った。

それを早速使う機会が来たわけだ。


風呂場でたっぷり遊んだところで話を聞いてみる。

「たいきは今日、公園におもちゃ持っていったの?」

『うん』

「なんのおもちゃ持っていったの?」

『はたらくくるまたちとぉ、きょーりゅーさん!』

「ハル君に貸してあげたの?」

『…』

聞かれたくないことだと思ったのか、興味がなくなったのかはわからないけど、関係ない遊びを始めてしまった。


質問を変えるか。

いや、そもそも質問というのは受け取った側は攻撃的に感じるものなので、質問じゃない方がいいか。

「今日もハル君と遊んだんだね」

『きょうはぁ、はるくんのことしゅきじゃなかったの』

ほほう。

新証言だ。

「ハル君のこと好きじゃなかったんだ。」

『たいちゃんのおもちゃとっちゃったから、はるくんのことしゅきじゃなかったの。』

うーん。

でも「かーしーて」に「いーいーよ」だったなら貸してあげたんじゃん。

「ハル君は『かーしーて』ってした?」

『しなかった』


うーむ。

わからん。

そんなことあるかなぁ。

まあ、あるかないかでいったら、あるな。

たいきが砂場におもちゃを広げたまま、一部のおもちゃだけ使って他のところで遊んでいたのかもしれないし。

本当は「かーしーて」「いーいーよ」はやったかも知れないけど、たいきが返してほしくなった時点ではたいきはそのことを忘れちゃったのかもしれないし。

3才児同士の会話を3才児に思い出させて3才児に申告させるのには限界を感じる。

『ハル君、泣いちゃったんだって?』

「たいちゃん、あしょぶきぶんじゃなかったの。」

なんかここ数日のうちに、この「遊ぶ気分じゃない」という言い方を覚えたらしい。

2、3日前に前にも聞いたフレーズだ。


じゃあ、この前お父さんが一緒にいたときハル君におもちゃ借りたよね?ハル君におもちゃ借りることもあるよね?

という話をしようと思いかけて、やめた。

いつでも貸してやれという話がしたいわけじゃない。

たいきだってこうされたら嫌でしょ?が通じるようになるのは、他人に気持ちがあることを理解する機能が脳に備わってからだけど、前にNHKスペシャルかなんかでそれは4~5才くらいからだと言っていた。

たいきはまだ3才になったばかりだ。

そして、なにより重要なこと。

どうも、私の思うような結論に近づかなくて、私がイライラしてしまってるようだ。

だからもう、この話はやめ。

まだ追及したいことも言いたいこともあるけど、それは私の気持ちであって、客観的に見ればそうじゃないはずだ。

何しろ私はその場にいたわけじゃない。

私が感情的な裁判官になって、ハル君が泣いたからこうだったはずだ、こうするべきだった、と決めつけるのは愚の骨頂だ。

そんなシーンを見かけて記事にしたこともあった。(子供をしかるときに一番気をつけなけきゃいけないこと~旅先で遭遇した冤罪事件

まして、その場ではっきり目にしたことをベースに話をするならともかく、今はたいきの記憶を頼りに話をしているのだ。

私も幼稚園生のころ父に自分の言い分を信じてもらえないままいわれなく家を追い出されたことがあって、今でもその理不尽な気持ちと顛末を覚えている。

被告人の話は最大限尊重しなければならない。

推定無罪というやつだ。


さて。

これから考えていかなきゃいけないことがいくつか。

・自分の持ち物を他の子が使ってるときにとっちゃうのはよくないということをいつ理解させるのか

・お友だちが泣いちゃった、という事実をどう受け止め、考えさせるべきか。お友だちの気持ちを理解できるようになるのはいつなのか。

・こうやって自分が見てなかったことについて話をするときにどこまで本人の話を信じるべきなのか。嘘をつけばなんとかなると思われるのは困るし、お父さんは信じてくれないと思われるのも困る。

それから

・もしその場にいたら私はどうしたか、どうするべきか、どうするか。

ということにもまだ結論はなにも出ていない。


これがしつけの悩みというやつか。

なるほど、難しい。

公園の砂場に落ちてた(いつも落ちてる)おもちゃで遊ぶたいき。このときも止めようかどうしようか悩んだ。

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