たまには自分のことをとりとめもなく書いてみる
結構長いことブログってやつを書いてみたくて、でもなかなか踏み切れないでいた。
大体、日記でもなんでも続いたためしがないし、ブログなんて書いてみたところで、蓄積してきた知識やなんかを10本分も吐き出したらネタが枯渇しそうで。
自分の底の浅さをそういう形で自分に突きつけてしまう気がして怖かったというのもある。
実際、ネタとしてちゃんと考えて書いた記事なんて『保育園の選び方』くらいのもので、ネタらしいものはあっという間に何も思い浮かばなくなった。
ところがまあ、なんというか、何だかんだで書き始めて1年半だから、540日くらいか。
記事の数は450本くらいにはなった。
6日に5本書いた計算だ。
私にしてはずいぶん頑張った方だと思う。
子育てをしていると子供の成長と共に日々新しい気付きや発見もある。
Twitterやニュースから考えたことを記事にしたこともある。
何だかんだで何かしら書いてきた。
こんな駄文が累計30000件以上もシェアされていて、うれしいやらはずかしいやら。
書くっていうのは結構自分にとっていい部分と悪い部分がある。
いわゆる一貫性の原理というやつは、自分のそのときの考えを文字にしてしまうことでより強く発揮される。
子供をぶたない、side by sideで話を聞く、奥さんに逃げられるような生き方をしない。
いいようでもあり、悪いようでもある。
決めたことを守るのにはいいけれど、柔軟性が失われるのはそれはそれで怖い。
君子は豹変すというし、水は方円の器にしたがうともいう。
柔軟性というのは、多分、一貫性よりもはるかに大切なものなのだ。
しかし、一昨日の記事は、書いてみて自分でびっくりした。
ブログを書き始めた頃、まさか自分がこんなにフェミニズムみたいなものをものすることがあろうとは想像もしなかった。
あれは、ブログを始めるまでに私が蓄積してきた知識や経験とは関係がないし、ネタとして探して見つけたものでもない。
ただただ子育てをしながら考えていくなかで出てきた、言わば突発的な思考だった。
そして、書いてみて自分なりに納得するところがあって、多分私のなかでは大切な思想になっていくのだなという確信めいたものがある。
多分ブログを書く習慣がなかったら、あんなことに気づかなかったかもしれないし、気づいてもここまで明確に私の思想として根付くこともなかったのではないか。
そういう意味で、一昨日の記事は私にとってかなりエポックメイキングな記事になったと思う。
子供が二人になって、明らかにブログの更新頻度は落ちた。
子供が二人になったのだから、書くことは増えているはずなのに、だ。
たいきの成長。
のはなの成長。
特に二人いることで起こる葛藤や軋轢は、日々の生活で多忙にかまけて記憶からどんどん漏れ落ちていってしまうけれど、どこかでまとめて考えていかなければならない大事な問題だ。
きっと二人の成長にあわせてその形も変わって行くことだろう。
細大漏らさずとはいかないけれど、書いていけばまた今回みたいな思わぬ発見があるかもしれない。
いつまで続けるか、続くかもわからないけれど、続ける理由がひとつ増えてしまった。
もうしばらく、書き続けてみようと思う。
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