子供達が盛装で積み木遊びをしていた

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たいきの七五三とのはなのお食い初めのタイミングということで、スタジオアリスに行って写真を撮ろうということで行ってきた。

相変わらず撮影してくれる方々が魔法使いに見える。

椅子の近くに行くことすら拒否していたたいきに私たちは「椅子は無理ならいいです。別のポーズで問題ないです」と言った。

撮影スタッフさんは「一応やってみますね」と言ってたいきのところに行く。

2分後にはスタッフさんのおもちゃを使った華麗な誘導で椅子に自分から座り、笑顔をカメラに向けていた。


ふと見ると、待合室の床に座って5歳くらいの女の子が積み木遊びをしていた。

私は着物のことはよくわからないけれど、多分振袖というやつ。

ながーい真っ赤な袖をきちんと両脇にしわにならないように伸ばして、多分ちゃんと正座で座っているようだ。

脇に、かかとの厚さが3センチくらいの女の子用の草履がきちんと置いてある。

一見して大人しいというか、大人らしいしぐさで、積み木を積んでいた。

ああ、女の子らしくてかわいいなあと思う。

そこへ、青い羽織袴の同じくらいの男の子がやってきて、同じように草履を脱いで座って、積み木遊びを始めた。

こちらは足を投げ出して、慣れない和装とはいえ振袖ほど動きにくいことはないと見えて、元気に積み木に取り組み始める。

こちらも男の子らしくてかわいいな、と思う。


しばらく見ていたら女の子がいきなり座り方を変えた。

足を投げ出して、床にぺたっと座って。

袖のこともお構いなしに積み木をつかむけれど、さすがに長い袖が邪魔そう。

それでも今までよりは随分子供らしい仕草に変わった。

目の前に座ってる男の子と同じ、子供の仕草だった。

同じところで積み木遊びをする撮影前のたいき

私は、そのとき、言いようのない悲しみに襲われた。

そうだ。

この子は多分、目の前の羽織袴の男の子と同じ5歳の女の子なのだ。

普段は同じ5歳児のやり方で、積み木遊びをしている。

それが「女の子らしい格好」をするとできなくなるのだ。

「女の子らしい格好」というのはつまり、女の子から自由を奪う服装だった。

長い袖、開きやすい裾、底の厚い靴。

こんなもので、5歳の女の子はやすやすと自由を奪われてしまう。


思わずあたりを見回した。

男の子たちが来ているのは、羽織袴かスーツ。

袴というのは、噺家さんが「反対車」のような動きの激しい落語をするときにあえて着用したりすることでもわかる通り、着物で動き回っても着物がはだけないようにつけるのだ。

女の子が着ているのは大体シンデレラみたいなロングドレスと振袖。

ロングドレスは一人で歩くと裾を踏んでしまうのだろうか。

裾の中までは見えないけれど、多分、履物の違いもあるんだろう。

とにかく動き回っているのは男の子ばかり。

女の子は大体座っているか、親の近くに立っている。


何よりも私を絶望的な気持ちにさせたのは、私が女の子のしとやかなしぐさを見て「不便そうだな」とか「かわいそうだな」と思わずに

「かわいいな」

と思ったことだ。

自由を奪われている女の子を見て「大人の女性らしい魅力を身につけている」(あえて付言するけれど、決して性的な意味ではない)と私は感じたのだ。

多分私は、あまりに長大な服を着て動きづらそうにしている男の子を見たら「窮屈そうだな」と思うに違いないし、下駄をはかされて歩きづらそうにしている男の子を見たら「かわいそうだから普通の草履にしてやればいいのに」くらいは思うはずだ。

ところが女の子が窮屈そうにすることについては、残念ながら私は「いいな」と思ったのだ。

こんなに悲しい、恥ずかしいことはない。


女性を男性より弱い立場に置いておきたい。

女性を不自由にさせておきたい。

男性に歯向かわない女性がいい女性。

私はこれでもフェミニズムに共感している人間のつもりだったけれど、そういう日本の男尊女卑の文化に真っ黒に毒された人間のひとりにすぎなかった。


女性がいわゆる女性らしい格好をしたいと望むなら、もちろんそういう格好をしたらいい。

そうじゃない格好をしたいならそれもいい。

別にどっちじゃなきゃいけないわけじゃない。

服装というのは自己表現のひとつであって、その選択は個人にゆだねられるべきだ。

ただ「女性だから」という理由で窮屈な格好を押し付けて、その格好にふさわしいふるまいをもあわせて押し付けるような、そんな真似は絶対にだめだ。

絶対にしたくない。


のはなはまだ0才だ。

幸い、のはなのジェンダーを気にするようになるまでにはまだ少しだけ時間があるかもしれない。

私の中にいる「常識」という悪魔。

その姿の、多分一部が今日見えたんだろう。

全容が見えるにはもう少し時間がかかるかもしれないし、実は私が生涯をかけても打ち倒すことができないくらい強烈な奴かもしれない。

どうやってその姿を明らかにして、どう戦っていくのか。

考えていかなければならない。

両手をあげて歓声をあげながら横浜駅を疾走するたいき

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