たいきがヤヌス(双面神)に見える
朝はたいきが私を起こしに来てくれる。
ところがご飯と着替えは最近お母さんじゃないと嫌だという。
送りはもちろん私。
家を出てしばらく一緒に歩くと、手を繋いでくれと言う。
さらにしばらく歩くと、抱っこ。
保育園につくと、ここ数日は私から離れたがらない。
私にしがみついてなかなか離れないたいきを、ゼロ才の時からお世話になっている先生が優しく抱き取って、ようやく不承不承ばいばい。
奥さんが風邪を引いているのに昨日は帰りが遅くなってお風呂をやってもらってしまったので、今日はがんばってお迎えにいった。
園につくと朝の先生がたいきを呼びに行ってくれる。
たいきは満面の笑顔で走ってきて私に抱きついた。
そのまま抱っこして退園。
途中コンビニで買い物をして帰宅。
嫌われてはいないと思うんだよなぁ。
風呂にはいって、自分の体を洗ってからのはなを迎えて洗ってやって、お母さんに引き渡す。
入れ違いにたいきが入ってくる。
ところが、シャワーをかけたらたいきが怒り出した。
「おかーしゃんにかけてもらうっていったでしょ!」
いや、聞いてない。
「おとーしゃんかけちゃだめ!おかーしゃんっていったでしょ!」
泣きながら体についた水滴を手で払い始めた。
お母さんって言ったって、まだお母さんはのはなの着替え中。
そのあとは授乳のはずだ。
代わってもらうにしたって少し時間がかかる。
その間はだかんぼでシャワーもかけずに待たせるわけにもいかない。
困り果ててる間にたいきの癇癪はどんどんエスカレートしていく。
「おとーしゃんやめて!おとーしゃんやめて!おとーしゃんだめよ!おかーしゃーーーん!」
うーむ。
人聞きが悪いことこの上ない。
奥さんは声をかけると案の定授乳中だ。
風邪を引かせるわけにはいかないのでシャワーをかける。
たいきは泣き叫ぶ。
「おかあさんとお風呂がいいねぇ」
「いいねえしないで!おとーしゃん、しゃべっちゃだめ!」
共感もside by sideも何の役にもたたない。
苦笑しかでない。
結局奥さんが風呂を代わってくれた。
で、しばらく待っていると風呂場から呼ばれた。
たいきが出るのだ。
バスタオルをとってやると
「おかーしゃんにかけてもらう!」
お母さんはこれから髪を洗うのだ(多分 *追記:これを読んだ奥さんから『あの泣き声聞いて髪洗うような悠長な真似してないから』とのコメントをいただきました)。
リビングからはのはなの泣き声が聞こえてくる。
とにかくこのままじゃ風邪を引く。
濡れたままのたいきを抱えてリビングへ。
のはなが泣いてるのを横目に見ながら、とにかく泣き叫ぶたいきの体をふく。
もちろん暴れる。
金切り声で叫ぶ。
泣いていたのはなが、たいきの泣き声に圧倒されたのか、いつしか泣き止んだ。
そういうこともあるのかと感心する。
おむつをはかせるのが難事業。
どうあってもはかない。
謝ったりなだめたり説明したり共感したり、ありったけの優しげな言葉を使いながら、とはいえしかたないので無理やりはかせる。
力一杯抵抗するたいき。
まあ、これだけ興奮して暴れていればしばらくは湯冷めもしないかななどと思うしかない。
おむつだけなんとか、はかせたというよりはお尻にはめこんだところで奥さんが上がってきた。
たいきはあいかわらず大激怒、悲憤慷慨の体。
地団駄を踏みながらおむつを脱ぎ捨てた。
奥さんがなだめながら新しいおむつをはかせて服を着させてくれた。
髪を乾かさなきゃいけない奥さんと一旦別れてたいきとのはなと三人で寝室へ(*訂正:上述の通り髪は洗っておらず、とりあえず羽織っただけのガウンを寝巻きに着替えたりコンタクトはずしたりしてたとのこと)。
たいきはごきげんで「だっこして」などと言うので、抱っこしてやるとゲラゲラ笑っていた。
まあ一言で言って、わけがわからないといえばわけがわからない。
まるでローマ神話の双面神『ヤヌス』みたいだ。
保育園にいきはじめてからずっと朝のしたくはお父さんと二人だった。
のはなを妊娠してからはお母さんは抱っこもしてくれなくなったし、断乳もした。
のはなが生まれて横浜に帰ってきてしばらくは、相変わらず朝の支度も夕飯もお風呂もお父さんだった。
今も週末はのはなとお母さんはお留守番で、お父さんと二人で出掛けることが多い。
しかしいまは、育休中のお母さんが朝も夜も家にいて、抱っこもお風呂も着替えもなんでもやってくれることに気付いてしまった。
お父さんが何をしようが、お母さんと言えば授乳してくれる絶対的に安心な存在だった。
いまたいきは、そのお母さんとの関わりを、授乳にかわる何かを3才児なりに全身で求めているのかもしれない。
お父さんはtoo muchということもあるだろうか。
いや、これはあると思いたい。
まあ、とにかくたいきが笑顔でいてくれればそれでいい。
お母さんの負担が過大にならないようにだけ、細心の注意を払いながら、しばらくはこんな風にやっていくことになるだろうか。
ヤヌス(Janus)は二つの顔で外と内を見つめる扉の神。
そこから物事の始まりを司る神とも言われ、一年の始めの月であるJanuary(1月)の語源にもなっている。
大変なのも、楽しいのもこれから。
今から四人で家族になっていく、その入り口に私たちはいるのかもしれない。
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