のはなが笑った
どうも最近色々忙しくて、ブログを書く暇がない。
暇というか、体力だけど。
しかし、一日一日、新しいことは起こっている。
これを書かずにいると、私の記憶からはその一日一日はなくなっていってしまう。
なんとももったいないことだ。
ここ最近はごはんも作れていないし、夜の対応も全然できていない。
奥さんは、しなくていいといってくれるけれど、本当はしたいのだ。
つらくなったら声かけるから大丈夫といってくれるのだけど、つらくなってからじゃ遅い。
もう少しがんばらなければ。
反省。
3日ぐらい前から、のはなが笑うようになった、気がする。
なにかおしゃべりしていることもある。
ああ、たいきもこんな時期があったなぁ。
天使そのものだ。
しかし、顔立ちがしっかりしてきて、はっきりいって、同じころのたいきと見分けがつかないほど似ている。
たまたま2-3ヶ月ごろのたいきの写真を昨日たいきが見たのだけど、
「これ誰?」
と聞くと
「のはなちゃん!」
と全力で答えていた。
「これはね、たいきくんだよ」
といっても
「えー?ちがうよ、のはなちゃんだよ!」
といって聞かない。
それぐらいそっくりだ。
のはなを抱っこしていて、泣いている理由がよく分かるようになった。
たいきのときはなんとなくおたおたすることが多かった気がする。
姿勢がいや、熱い、おしゃぶりがほしい、おなかすいた、おむつが気持ち悪い、立って抱っこして欲しい。
意外とバリエーションは少ない。
余談だけど、お父さんがいや、お母さんがいや、ということはないと思う。
少なくとも今は、誰だからいやなんじゃなくて何か解決して欲しいことがあって泣いているのだ。
おっぱい以外のときは自分でなんとか解決しなきゃいけないし、まあ、解決できる。
ていうか、子供を抱っこするって言うのは泣かないように抱っこする、泣いたらそれを解決して抱っこし続けることまで含めて抱っこなのだと思う。
閑話休題。
のはなが泣く理由に、最近「私の目を見てくれていない」というのが加わった気がする。
横抱っこをしながら何かしていると泣き出すことがある。
しっかり目を見つめてやると泣き止んだりする。
見つめ合っていると安心しているようだし、ほほえむこともある。
目を見てやるということもきっと大事なのだ。
笑ったりおどけたり、はなしかけたり。
いろんな顔を見せてやることでどんな発達に影響があるとかそういうことはわからないけど、見つめて欲しいと泣いているときは、しっかりと見つめてやりたい。
今朝はきれいなヒツジ雲が出ていたので、保育園の行きがけたいきにヒツジ雲を教えてやった。
来年はたいきがのはなにそれを教えてやることになるのだろうか。

ディスカッション
コメント一覧
素敵です。「父親も子供が産まれた瞬間に自覚を持って」なんて言われたりしますが、自覚を持つとは、一年間禁酒するとか、定時帰宅するとか、ゲームを止めるとか色々あって、初めてのお子さんでいきなり色々出来たら神様ですよね?それは、母親も。
二人目が産まれて、一人目の時よりも色々出来る、色々わかる、色々感じ取れる。
凄く育児が楽しくて幸せの絶頂なのでは?
この幸せが長く続きますように。