二人育児の悩み
奥さんと二人で、たいきとのはなを見る。
二人育児が始まって1週間経った。
なかなか悩ましいことは多い。
どうしてものはなを抱っこしている時間というのがある。
たいきとのはなをお風呂に入れて、上がってきて、今度はお母さんがお風呂に入る。
私は二人を連れて寝室に行く。
もちろんのはなを抱っこしている。
たいきには、おもちゃを片付けて、というし、たいきが寝室にもって行きたいおもちゃのしたくもたいきが自分でする。
自分で寝室に持っていくし、そのときにたいきを抱っこしてやることももう出来ない。
以前は全部一緒にやっていたし、抱っこで寝室に行く日も多かったのだ。
ベッドに行っても、たいきは一人でベッドに入る。
私はのはながぐずっていれば抱っこするし、多少機嫌がよくてもおしゃぶりをくわえさせていて、おしゃぶりが落ちるたびに戻してやらなきゃならない。
たいきは最近は布団に行っても機嫌がいい。
いや、本心はどうか分からないけど、とりあえず機嫌がいい。
機嫌よく大きな声でおしゃべりをする。
「このてぃらのさうるしゅはね、にくしょくきょーりゅー、たいちょうじゅーにめーとる!」
「たいちゃん、おにいちゃんだからてぃらのさうるしゅさわれるの。のはなちゃんも、おかーしゃんもさわれる。おとーしゃんはもうすこしさんしゃいくらいになってからね!」
恐竜のお話が多い。
大きな声でしゃべられると、つい、小さな声にしてもらいたくなる。
のはなが眠れないのだ。
「たいき、もう少し小さな声でしゃべって」
まだたいきは小さな声でしゃべるということができないのかもしれない。
相変わらず大きな声でしゃべり続ける。
のはなは、今はまだ自分の手足も分からない。
見えるものと口に触れるものが彼女の世界の全てだ。
当然、お父さんが目を見つめていないと機嫌が悪い。
たいきのことをちらりと見ると、たいきは私を見ている。
決して笑顔のときばかりではない。
どんな気持ちなのか。
私は気にしすぎなのかもしれないけど、笑顔でいないときは心が痛む。
といってのはなからも目がはなせない。
のはなが寝ると、たいきに声をかける。
「お父さん、たいきにくっつきたいなぁ。ぎゅーってしにいってもいい?」
最近は断られてしまう。
今日は
「だめ!でもちゅーならいいよ」
ほっぺたにキスをさせてもらった。
昨日は「しゅりしゅりならいいよ」というので頬ずりだけさせてもらった。
だめ!とはいうけれど、近くに行くとうれしそうにする。
嫌がることをしないのは当然として、本当はして欲しいであろうことをちゃんとやってあげたい。
まだちゃんと、たいきのことが大好きなのだということは、毎日ちゃんと伝えたいのだ。
のはなは赤ん坊だからよく泣く。
泣かせっぱなしにしたって死ぬわけじゃないことは、もう二人目の子供だからよく分かる。
たいきにご飯を食べさせる、たいきの着替えをする、たいきを抱きしめる。
その間のはなが泣いてたりもする。
たいきのことをきちんとケアしたい。
何しろたいきはまだ3歳なのだ。
望んで兄になったわけではない。
だからのはなにも我慢してもらうことは多い。
しかし、のはなだって好んで妹として生まれてきたわけではない。
抱いても置いても泣いているときというのはある。
そういうときだって、もちろん抱っこしてやりたい。
笑っていても、泣いていても、起きていても、寝ていても。
いつでも抱っこしていたやりたい。
まして泣いているのに生まれたばかりののはなが我慢しなければならない理由なんてひとつもない。
のはなに、あの小さな体では受け止め切れないくらいたくさんの愛情を与えるのも、私の使命なのだ。
3年一緒にいたたいきへの愛情というのはとめどなく溢れてくる。
そんな中で、のはなに対してどんな感情になるのかなと、少し不安になっていた時期もあった。
何の心配も要らなかった。
のはなは愛くるしく、愛おしく。
のはなへの愛情も尽きせぬ泉のように溢れてくる。
むしろたいきのときは、これはなんだろう、あれはどうしてだろう、それはどうしたらいいだろう、となんでも考えながらだったので、楽しいながらも大変だった。
のはなはもちろんたいきとは違うけれど、たいきのときにこうじゃないかああじゃないかと色々なことを考えてはいたから、のはなはこうじゃないかと仮説を立てて対応してみるみたいなことは比較的スムーズに出来る。
たいきにやったことと同じことをするわけではないけど、たいきのときにあれこれ考えていたことは確実に役に立っているのだ。
だからなのかわからないけれど、のはなは育てやすい子だなと思う。
今のところ、泣きわめき続けてどうしていいかわからないというようなことはない。
寝かし付けだって、たいきのときよりずっとスムーズだ。
たいきのときは毎晩1時間も2時間も歌ったり踊ったりしながら抱っこしていた。
のはなの寝かしつけ抱っこはせいぜい10分ぐらいだ。
体力に余裕があるから、なおさら愛しく思う心の余裕も大きい。
たいきに今までと変わらない愛を注ぎたい。
のはなに、たいきに与えたのと同じだけの愛を与えたい。
奥さんと二人でやっていればそれがだいぶ理想に近い形で実現できているという実感はある。
たいきに対してああして欲しい、のはなをこうして欲しいという要望は、お互いに理由を聞かなくても要望されただけで理由はわかる。
お互いに自分がやりきれないところをちゃんと相手を使って補おうという意志が有り、それは今のところかなりうまくいっているように思う。
それでも、理想どおりにとは行かないことだってある。
いや、そもそも今までたいきに与えていたのと同じ愛情を二人になんていうのは無茶には違いない。
だがしかし、それをあきらめるという選択肢は私にはない。
できてないことを悔しがることはあっていい。
少しでも理想に近づけたら喜ぼう。
きっと、たいきものはなも、向こう1年ぐらいのことなんて将来は絶対覚えていない。
忘れてしまうのだ。
いつか大人になってしまうふたり。
たいきとのはなが子供時代に培った心と気持ちは、彼らが大人になったときにはもう、彼ら自身が気づかないような、彼らの心の奥深くにしまわれてしまう。
しかし、その奥深くに眠る彼らの子ども時代の感情の記憶が、将来彼らの生きる力になるのだ。
子供のたいきとのはなは今しかいない。
たいきはあと2年か3年か。
のはなもあと5-6年。
それまで奥さんと私に何ができるのか。
おっぱいのない私に何ができるのか。
考え続けていきたい。
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