たいきの一番長い日

お父さんであること, 子育てを考える

出産から一夜明けて、たいきをつれて義母と一緒に母子のお見舞いに行った。

お母さんはのはなをベッドにおいてたいきを出迎えた。

長期入院していたわけでもなく、たいきが寝てる間に入院、出産したわけで、そんなに気を遣うところではないかもしれないけど、セオリー通りだ。

それがセオリーだとどこかで見たのかもしれないし、そうではないかもしれないけど、なんとなく安心した。


義母も私も、とにかく赤ん坊を抱っこしたくて仕方ない。

出産のときのはなしをしたり、ひとしきり手が小さいねとか、かわいいねとか。

たいきのときはさわるのも抱くのも本当におっかなびっくりだったけれど、今回はもう手慣れたものだ。

たいきも頭を撫でてやったり。

楽しく過ごしていた。


たいきはテンション高くはしゃぎ回っていて、部屋のなかでかくれんぼをしたり、ベッドの上で跳び跳ねたりあたりを走り回ったりしていた。

一時間くらいそうやって過ごしていただろうか。

何かの拍子にたいきがベッドと壁の間の隙間に足を踏み込んでしまった。

みるみるたいきの顔がゆがんで、泣き出した。

どこを打ったのかとか気になるけど、一応落ちたところは見ていた。

頭とかは打っていない。

「うわぁ、痛かったね」

「いたかった(泣)」

「びっくりしたね」

「びっくいした(泣)」

抱き上げてやって、抱き締めると、首にしっかり抱きついてきた。


こういう抱きつきかたは珍しい。

そのことにはすぐ気がついた。

「頭が痛かった?」

「あたまはいちゃくなかった」

「あんよが痛かった?」

「うん、ここがいちゃかった」

たいきが指差したのは左足。

そこに手を当てて

「飛んで行けしようか」

と言うと

「とんでいけしない」

と言う。

こんなことも初めてだ。

そして、また首に抱きついてきて大きな声で「えーんえーん」と泣いている。

普段は「いたいのいたいの飛んで行け~」をすると、「いたいのとんでった」といってピタリと泣き止むのだ。

道路で転んだり滑り台から落ちたりしてもそんな感じ。

今日のは、それと比べたら全然いたくないはずだ。

いつまでも泣き止まないたいきを抱き締めながら、ははぁと思い当たることがあった。


この部屋についてから、たいきは大きな声をあげてはしゃぎ回っていた。

私たち大人は話に夢中になっていたし、赤ん坊のことをずっと見てもいた。

たいきのことを無視していたとは思わないけれど、たいきからしたら、今まで何をしてもどこにいても話題の中心にいたのが、急に無視されたように感じただろう。

はっきりそう感じたのかはわからないけれど、不安や不快は感じていたに違いない。

泣くことで注目を浴びようというのではないと思う。

その不安な気持ちが一気に出てきたような感じだった。


奥さんに目配せすると、奥さんも同じことを考えている顔をしていた。

目があって、うなずきあう。

「たいき、お母さんに抱っこしてもらいな」

赤ん坊を受け取って、たいきをお母さんの方へ遣ると、たいきはお母さんに抱きついて

「えーんえーん」

とやりはじめた。

そしてその姿勢で振り返り、赤ん坊を抱いている私を見た。

私は、たいきがきっと振り返るだろうと思ってたいきを見ていたから、しっかりと目が会った。

なんというか、悲しそうという顔ではなかった。

何か、睨むわけではないけれど、不安というよりは、裏切り者を見るような、疑うような、そういう不信感に満ちた険しい顔だった。

声は泣き声そのものの声をだし続けていたけれど、涙はもうほとんど出ていなかった。

そしてたいきがそのまま赤ん坊に目を移した。

私はたいきから目をそらさずに見つめていた。

もう一度だけたいきは私をちらりと見て、またお母さんの胸に顔を埋めた。
奥さんと目が会って、うなずき会った。

多分、二人とも同じことを反省していたと思う。


その後、たいきものはなを抱っこしたり頭を撫でたり、声をかけたりして、機嫌よく楽しく過ごした。

それからは私も奥さんも、たいきから視線が離れすぎないようにずいぶん意識して過ごしていたけれど、むしろちゃんと意識していただけに、やっぱり今まで通りたいきだけを見つめているわけにはいかないんだなと痛感した。

夜、風呂に入ってそろそろ寝ようという時間。

ソファに座っている私のところにたいきが駆け寄ってきて、膝によじ登って抱きついてきた。

これも珍しいけど、もう驚かなかった。

そのまま立ってくれという。

『今日はこうやって寝るかい?』

と聞くとうなずいた。

縦抱っこの、立ち抱っこ。

もう、しばらくやってなかった、たいきの寝かしつけスタイルだ。

0才から1才にかけて、毎晩こうやって寝かしつけていたのだ。

一旦CDプレーヤーのところに連れていかれた。

なにかたいきがCDを探し始めた。

何を探しているのかはもう、聞かなくてもわかった。

たいきはここにミシャマイスキーのバッハの無伴奏チェロ組曲のCDがあることを知っている。

バッハの無伴奏チェロといえば、うちにはカザルスとジャンドロンとヨーヨーマのレコードがあって、寝かしつけの時にはその日の気分でどれかを選んでよく流していた。

ミシャマイスキーの演奏はそのどれとも違う、芸術的で凝った演奏だけれど、同じバッハの無伴奏チェロには違いない。

これを聞きながら、抱っこで寝かしつけをしてほしいということだ。


これを赤ちゃん返りと呼ぶのがいいのかどうかはわからないけれど、まあいわゆる赤ちゃん返りというやつだ。

別に赤ちゃんに返ってるわけじゃないことはよくわかる。

不安だし、寂しいのだ。

だから、自分も一生懸命赤ちゃんだった頃のことをやって関心を集めたいということもあるかもしれないし、むしろそうやって自分も赤ちゃんとして振る舞うことで以前と同じように抱き締めてもらえることを確認しているようでもある。

でも、何より、そうやって以前と同じように抱き締めてもらうことで、安心したいのだ。

まだややこしいことは理解できないし消化もしきれない小さい胸が、不安で一杯になっていて、それを少しでも押さえるための本能的な必死の行動が、この赤ちゃん返りというやつだ。

たいきを抱きながら、そのたいきの不安を思うと、おぼえず涙が出た。


たいきはそのまま眠ってしまったけれど、すぐにベッドに置く気にもならなくて、そのままかなり長い間抱っこして過ごした。

暑くないのかと義父に聞かれたけど、暑くないわけはないし、かといって不快なわけもない。

ただ、そうしたかったのだ。

夜も更けた頃にたいきをベッドに置いたら、たいきは目を少し開けた。

「大丈夫だよ。隣にいるよ。お父さんはたいきのことが大好きだよ。」

といって頭を撫でてやると安心したように目を閉じた。

そのまま、ゆりかごのうたを歌ってやると、静かに寝息をたて始めた。


「たいちゃん、おにーちゃんになった」

なんて言ってはいるけれど、たいきには、何が起こったかまだわかるまい。

ただ、環境が変化したことだけはしっかりとわかってしまった。

不安に違いない。

たいきにとってはずいぶん長い一日だったと思う。

どうしたらたいきの不安を取り除けるのか、不安を感じさせずに過ごしていけるのか。

『二人目が生まれても愛情は変わらないはずだ』

という人もいるけれど、そんな精神論はたいきにとっては意味がない。

愛というのは、マザー・テレサの言葉を借りれば「行動を伴うもの」なのだ。

ただの気持ちには意味がない。

行動こそが愛情の唯一の表現方法たりえる。

その行動が減れば、受け手は愛情が減ったと感じるのは当たり前なのだ。

私は、愛しているから大丈夫、などという甘えは排除して、もっとテクニカルに、どうやって赤ん坊を抱えながらたいきには今までと変わらぬ愛情を伝えられるだけの行動ができるのかを学ばなければならない。

もちろんそれは、たいきを抱えながら、産まれたばかりの赤ん坊にたいきの時とおなじだけの愛情を注ぐためでもある。

それは、気持ちではなくて、技術の話なのだ。

私は精神論で子育てをしようとは思わない。


新しい家族が増えた。

幸せの量は増える一方だ。

みんなが笑顔で過ごせるように、何をすべきか。

何ができるか。

何をするか。

パパ初心者として、考えること、学ぶべきことだらけだ。

この年で新しいことに挑戦できる。

それもまた、幸せなことだ。

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