お腹の子の名前を考える
午前中、玄関前の草むしりとベビーカーのオーバーホールをやっていたら、お隣さんが回覧板を持ってきてくれた。
奥さんは平日ほぼワンオペらしいが、今日は2台の自転車にのって三人でおでかけらしい。
2歳の息子さんに
『こんにちは。行ってらっしゃい』
と手を降ったら
「ばいばーい」
と手を振り返してくれた。
熊本の奥さんからの連絡では、昨日の検診結果、現状順調らしい。
女の子で確定と言っていいということらしく、男の子のときの名前を考えるのはやめることにした。
女の子の名前は何ヵ月か前に思い付いたやつ。
それ以降も色々考えたけど、今回は最初のアイディアが一番しっくり来るし、頭から離れない。
あと二週間くらいあるからまだわからないけど、多分変わらないだろう。
たいきのときはむしろ候補が変わって変わってようやくたどり着いたのがたいきたった。
色んなパターンがある。
お腹の子の名前は、最初はたいきと同じように漢籍からとろうかと思ったけど、途中で思い直した。
昔からそれなりに漢文に親しんできたから色々読んではいるけど、そのなかで一番いいと思う本が老子で、その中から老子の思想の核心的なところからたいきと名付けたのだ。
今さらそれ以外のところから名付けなんてできない。
と言って、今から新しい文献に当たるのもなんか違うというか、気持ちにあわない。
やはり、昔から親しんでいる文章から名付けてこそだ。
老子に匹敵する思想家と言ったら、もう、片手の数しかいない。
つまり、四聖だ。四聖というのは、誰が言い出したか知らないが
・魯の孔丘(孔子)
・ゴータマ・シッダルタ(仏陀)
・ナザレのイエス(キリスト)
・アテナイのソクラテス
だ。
老子は孔子より上だと判断して前回老子を選んだから、孔子はない。
この中で一番親しみがあるのは、なんと言っても聖書だ。
私は色々悩んだ挙げ句クリスチャンには今のところなっていないけれど、ティーンエイジャーの多感な頃にミッション系の学校で聖書を学んだから、思想的には絶大な影響を受けていることは間違いない。
聖書の思想を一番核心的に表現しているところからとろうと思ったら、自然とマタイ伝のひとつの言葉に行き着いた。
これなら中学生のころから知っている言葉だし、女の子らしいし、意味も愛に溢れている。
しかも奥さんの名前にも関連している。
これしかない。
奥さんに相談したら、賛成してくれた。
もう少し外でやりたいこともあったのだけど、小雨がぱらついてきたので部屋にはいった。
たいきのときに練習用に買ってきた習字セットを出してきて、お腹の子の名前を練習しようと思う。

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