アリエルは白人でなければならない理由~一番本物のディズニープリンセス(リトルマーメイド)

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リトルマーメイドがいよいよ実写化されるそうで、アリエル役にアフリカ系の美しい褐色の肌をもつハリー・ベイリーが選ばれたことが物議を醸している。

私はハリー・ベイリーという女性を知らなかったけれど、このニュースを彼女の顔写真つきの記事で見てひとしきり感動した。

とともチャーミングで、意思の強そうな印象はアリエルにぴったりだと思った。

しかしその後、よく考えてみて、今は戦慄している。

なぜなら、考えれば考えるほど、アリエルの役をアフリカ系の肌を持つ女優が演じるのは不適切だからだ。

その理由について説明していきたい。


ディズニープリンセスの歴史

ディズニープリンセスというのは、三期に分けて理解する必要がある。

申し訳ないけど権利とかめんどくさいし、名前をみても顔が浮かばない程度の人にこの話をする気はないので、一々画像は探さないし付けない。

(1)ディズニープリンセス第一期

まず、

・白雪姫

・シンデレラ

・オーロラ姫(眠れる森の美女)

が1950年代くらいまでにいた。この頃をディズニー映画の第一次黄金期と呼ぶ。

(2)ディズニープリンセス第二期

第一期の後30年、ディズニー映画の低迷期というか、間があった。

そして、1989年から1992年にかけて

・アリエル(リトルマーメイド)

・ベル(美女と野獣)

・ジャスミン(アラジン)

が出てくる。

第二次黄金期とも、ディズニールネサンスとも呼ばれる時期だ。

アラジンの二年後にライオンキングが発表され、あとはプリンセスらしきものとしては

・ポカホンタス

・ファ・ムーラン

・ラプンツェル

がいるけど、ディズニーランドとかでもあんまりプリンセス扱いはされていない。

(3)ディズニープリンセス第三期

2013年にアナと雪の女王が発表され

・エルサ

・アナ

がプリンセスに加わった。

そして、2017年に改めて、エマ・ワトソンのベル(美女と野獣)が現れて、2019年にアラジン(実は私はまだ見てない)発表。

からの、今回、アラジンロードショー中のアリエル役発表という流れだ。

おそらくここまでが、第三期ということになるだろう。


アリエルができるまで

 

白雪姫(1937年)

第一期の中でもやはり白雪姫はすごい。なにしろ世界初の長編アニメ映画だ。アニメなんて、短編を子供が見るもの。そういう常識をウォルト・ディズニーがひっくり返した作品だ。

当然発表前には、大失敗しか予想されていなかったらしい。

世界のアニメの歴史を作った作品といっていい。これがなければその後のディズニー映画もジブリも君の名は。もなかったのだ。

ストーリーはご存じの通り、魔女にいじめられて死にかけた白雪姫をいきなり現れた王子様がキスで助ける話。

白雪姫はすでに歌も歌う。

シンデレラ(1950年)

プリンセスとしては二人目。白雪姫から10年以上たっている。もう一回あれ(プリンセスもの)を作れば当たるんじゃないか感は否めない。

しかし、シンデレラ、だ。何しろ元祖シンデレラストーリーなのだ。ガラスの靴だしカボチャの馬車だし、ビビデバビデブーなのだ。

ザ・プリンセスといったら誰か。それはどうしたって、白雪姫よりはシンデレラではあるまいか。

シンデレラもちゃんと歌う。

オーロラ姫(1959年)

正直、三番煎じだ。

音楽はチャイコフスキーてんこもり。もちろんアニメーションだって前二作よりお金も時間もかかっている。

しかし、ぶっちゃけあんまり売れなかった。私も見たような気はするけどあんまり覚えてない。

魔女の呪いで眠っている姫をどこぞの王子様が救い出すみたいな話。

なんか、チャイコフスキーのワルツにあわせてプリンスと歌っている。

空白期間

この後、ディズニーランド(本家、1955年~)が流行ったり、ウォルト・ディズニーが亡くなったり、そもそもプリンセスものはもう無理感もあったのだろう。

この頃にジャングルブックとか、メリーポピンズとか、くまのプーさんとかが映画化されている。

眠れる森の美女はこのころ数年おきに三回ロードショーされて、だんだん人気は上がってきたらしい。

1983年にはディズニー初の海外進出、我らが東京ディズニーランドが誕生する。

そろそろディズニーとしては、ウォルト・ディズニーがもうひとつやりたいといっていたプリンセスものである「人魚姫」の出番だとなったんだろう。

そして、1989年に「リトルマーメイド」公開、というわけ。


アリエルとは何なのか

いままでのプリンセスは一応生まれはよくて顔もいい。歌も歌う。しかし、不幸な境遇にいて、基本的には見た目がいいから王子様が助けてくれる。

アリエルはギリシャ神話の海の神様「ネプチューン」の息子である、作中では伝説の海底王国「アトランティス」の王「トリトン」の末娘。

7人姉妹の中で一番若く、一番美しい。

そして何より、一番声がよくて一番歌がうまいという、今までの「ディズニープリンセス」の設定を明文化、強化した設定。

さらに、残念ながら人じゃない。

今までのプリンセスは一応人間だったから王子様に見つけてもらうだけでなんとかなった。

それすら見込めないという不幸中の不幸を抱えている。

そもそも足がないから出会えないのだ。

名曲「パートオブユアワールド」は、足もない私だけどあなたの世界に行って、太陽の下で走ったり踊ったりしてみたい、という実現不可能な夢を切々と歌い上げる内容。

辛うじてエラ呼吸じゃなかったのがせめてもの救いだろう。

つまり、

・血筋

・美貌

・音楽の才能

そして

・不幸な背景

を全て強化して兼ね備えた、ディズニープリンセスの王道中の王道。

その困難を乗り越えて、王子と出会い、一目惚れされて幸せをつかむ。

第二期一人目のプリンセスであるアリエルは、別の言い方をすれば、第一次黄金期のプリンセスの集大成なのだ。


なぜベルの愛の力で野獣は王子に戻るのか

しかし、アリエルが生まれた時代はもう1980年代。

ウーマンリブという女性解放運動があった1960年代を挟んで、ディズニープリンセスは前と同じではいられなくなっていた。

寝てたらキスされて助かって幸せ!というほど受動的な内容ではなかったにせよ、アリエルはやはりシンデレラストーリーの枠を出ていないという強い批判があった。

それを踏まえて、王子は野獣で、むしろベルをどうやって野獣が振り向かせるか、そして「最終的には美女が野獣を救う」という内容の「美女と野獣」が次のプリンセスストーリーとして選ばれた。

逆に見れば、今までは

・スノーホワイト(白雪姫)

・シンデレラ

・スリーピングビューティ(眠り姫)

・リトルマーメイド(小さな人魚)

と、プリンセスの名前がタイトルだったのに、ここではじめて「プリンス」の名前がタイトルに入った。

理想的で絶対的ではない、不完全な人間としてのプリンスが生まれたからこそ、彼の名前もタイトルに入ったのだ。

そして、次の作品のタイトルがどうなったのか、もちろんお分かりだろう。


なぜアラジンはお腹がすいているのか

しかしそれでも、まだ美女と野獣にはシンデレラストーリー的な要素が残っている。

そして、美貌と教養と知性を兼ね備えたベルが、野獣に図書館(!)をもらったりご飯を一緒に食べたり、雪合戦をしたりするうちに、意外とあっさりとあんなにも暴力的で横暴で教養のない男性である野獣を受け入れてしまう。

これはおかしいという批判が残った。

あんな男と一緒になるメリットは「王子である」ことしかなくて、それ以外はDV男そのものなのに、それを知性溢れる絶世の美女が受け入れるのはナンセンスだというわけ。

で、アラジンだ。

ジャスミンはイスラム帝国を統べるスルタンの一人娘。

かたや貧民街の孤児。

完全に、逆シンデレラストーリーになったのがわかるだろうか。

本作品では、なんなら王女であるジャスミンにはオリジナルな人格はない。

「みんなの憧れの王女様」の一類型に過ぎないといったら言いすぎだが、とは言え強烈な個性はないのだ。

嘘をつき、悩み、恐れ、考え、行動するアラジンこそが「アラジン」の主人公なのだ。

タイトルからプリンセスの名前がとうとう消えた。

ここまでやったディズニーは偉いしすごい。

そして、この後、プリンセスストーリーに手を出さなくなったのもわかる。

もう、プリンセスストーリー的な分野では何をしていいかわからなくなったのだ。

それどころか、次に出した映画は「ライオンキング」。とりいそぎ、主人公も登場人物(?)も人ですらない。

ムーランは男装の女性が父親の身代わりで従軍して仲間と困難を乗り越える話だし、ポカホンタスも恋をするけど結局男についてはいかない。

ノートルダムの鐘は私は見ていないけど、プリンセスストーリーでもシンデレラストーリーでもないらしいことは知っている。


なぜハンスは殴られて海に落ちるのか

それからあとは、スティッチやらファインディングニモやら、トイ・ストーリーやらカーズやら。

随分、人じゃないものが流行った。

アラジンのヒットから20年たって、久々の「プリンセスストーリー」として、みんなの期待を一身に背負って世に出されたのが「アナと雪の女王」だ。

毒親の幻影に悩むエルサが「もーえーわー!!いいこなんかやめたるわーーー!!」とぶちギレてめっちゃ化粧濃くしたら幸せになれたという、非常に現代的なテーマ。

スパイスとして起用されたのが「プリンス」である「ハンス・オブ・サザンアイルズ」だ。

この映画を初めて見たときはみんな、ディズニー映画だからこいつが色々なんとかしてみんなハッピーになるんだなと思ったわけで。

まさか最後にはアナに殴られて海に落ちて投獄される役だとは思わなかった。

しかし、これがディズニーが20年越しに出した答えだった。「ノー・モア・プリンス(もう女性が王子様に憧れ救われる時代は終わった)」というわけだ。

誠心誠意アナを助けようとしたクリストフが、褒美として新しいソリを手に入れる。喜びのあまり

「まじか!こんなにしてくれたら、おれ、キスしちゃう!いや、すると、したら、しても、、」

「していいよ!」

みたいな会話があってキスをしたのも印象的だ。

つまり、21世紀だから、白雪姫の王子みたいに寝てる女性にいきなりキスをしたりしないのだ。

あたりまえすぎてわざわざ文字にして書くのも恥ずかしいけど、男性が女性にキスをするときは、女性の許可を得てキスをする時代なのだ。

原題は「フローズン(凍らされている)」だ。

凍るだけじゃ話にならないから、もちろんテーマは溶けることだ。

凍らされたのは、アレンデールでもあるし、アナも凍らされた。

でも毒親に魂を凍らされていたエルサがそれを「氷の力」で溶かす物語でもある。

そして、長きにわたって凍結されていた「プリンセスストーリー」が解放された物語でもある。

女性は「憧れの王子様」「いい男」に「幸せにしてもらう」という固定観念でガチガチに凍りついていたディズニー映画が、その束縛から解放された瞬間でもあった。

記念碑的な作品なのだ。


実写版の野獣はシェークスピアを読んでいた

さああと少しだ。

アナと雪の女王を発表したディズニーは、今も強い人気を誇る今までのプリンセスという「黒歴史」を何とかしようと思ったのだ。

あれを見るひとがいる限り、ディズニーは「白馬の王子様にあこがれる女子」を再生産し続けてしまう。

もはやそういう時代ではないのに。

そして、まず美女と野獣に手をつけたのだ。

エマ・ワトソンの美女が野獣では、野獣は最早無教養で乱暴なだけの暴君ではなくなっていた。

「では、餓死してしまえ!」

なんていう粗暴な行為や台詞は原作のものをそのまま残しつつ、

「シェークスピアは一通り読んだ」

なんて言っているし図書館の本も、ベルから全部読んだか聞かれて

「いや、ギリシャ語の本もあるから…」

等と答えている。

ベルの生家に二人で行ってベルを気遣う姿もとても共感的だ。

そして、ベルもそこまでしてくれる野獣のことを、憎からず思い始める。

それでもベルは、ロマンティックなダンスシーンの後できっちり一度振ってしまうのだ。

ポット婦人の歌う「美女と野獣」にあわせて二人で踊るダンスが終わって、二人は腕を組んだままバルコニーに出る。

色男のルミエールでなくても、誰がどう見ても、告白するタイミングは今しかない。

アニメ版では、野獣はベルといい雰囲気になっていることを感じつつも、めっちゃびびりながら

「Are you happy here with me?(私とここにいて幸せかい?)」

と聞くのだ。アニメではベルはおずおずとではあったけれど

「Yes」

と即答して野獣の好意を受け入れた。アニメ版美女と野獣の名台詞、名シーンのひとつだ。

実写版だとこういうやり取りになる。

「It’s foolish, I suppose…for a creature like me to hope…

that one day he might earn your affection.」

(バカみたいだと、私も思うけど…私みたいなバケモノがいたとして…彼はいつか君の愛を手に入れることがあるだろうか)

「I don’t know.」

(わらからないわ)

一旦、他人事みたいに聞くやつだ。しかしベルの答えは「No」ではなかった!

野獣はもちろんここで希望を持った。これがアニメ版のベルの「Yes」のかわり。これから振られる野獣への、ディズニーからの最大限のサービスだ。

そんなことも知らずに、勇気を与えられた野獣は言葉を続ける。

「Really?」

(本当に?)

「You think you could be happy here?」

(君は、ここにいても幸せになれると思うかい?)

いきなり「今幸せ?(Are you happy here with me?)」と聞いたアニメ版の野獣に比べて、なんというか、紳士的というか臆病というか。見ていてもどかしい。

名台詞「Are you happy here with me?」のすっぽかしを食った観客全員がベルの「Yes」を期待したシーンだ。

しかしベルは少し考えて、むしろ険しい顔で答える。

「Can anybody be happy if they aren’t free?」

(自由ではない人が、幸せになれることがあるかしら?)

エマ・ワトソンのベルは、目の前の野獣だけではなく、アニメ版の野獣と、アニメ版で「Yes」と答えたベル自身と、「Yes」を期待した観客全員に対して話しかけている。

これが、20年越しでディズニーが、あの若く純粋で、暴力的であほな、愛すべき、つまり一言で言えば「子供」のまま体だけ大きくなった野獣と、その野獣を受け入れ愛してきた全員に対して出した答えだった。

暴力的な支配では愛は得られない、と。

そして、それをちゃんと納得して受け止められる立派な大人の男性に、野獣も成長していたのだ。


ベルのガストンに対する感情表現も強くなった。

プロポーズされたあとの独り言のアリア(『朝の風景(リプライズ)』)は、アニメでは「もう、いやになっちゃうわ」みたいな雰囲気だったのに、エマ・ワトソンは鶏の餌を地面に叩きつけながら、明らかに「反吐が出るわ!」という表情と唸り声をあげる。

そして、野獣とガストンの格闘シーンにもベルは登場して、野獣に加勢する。

美女と野獣は、実写になっただけじゃないし、CGがすごいだけでもない。

内容も、現代的に大幅に進化して帰ってきたのだ。

分かる人には分かるように。

分からない人にも、違和感がないように。

神業といっていいと思う。


実写版のアラジンはまだ見てなくてごめんなさい

私は美女と野獣のアニメが、何百回も見たほど好きだったから、実写版は見ないつもりだった。

美しい写真を撮る、信頼できる古いフォロワーさんから薦められなければ一生見なかったかも知れない。

しかし、見て、ディズニーが何をしたのかったのかは先述の通りよくわかった。

だから、二番目に好きなアラジンも早く見たくて仕方ない。

どんな風にジャスミンが変化したのか。

それが、あの頃と今とで、世界の最先端のフェミニズムの国の常識の変化なのだ。

きっと、素晴らしいものになっているに違いないと思う。


実写版のアリエルは白人でなければならない

ようやく本題だ。

美女と野獣はリメイクされた。

アラジンもリメイクされた。

しかしそれが可能だったのは、そもそもこの2作品が、当時の社会の要請に答えて作られた、言わば現代的なプリンセスストーリーだったからだ。

エマ・ワトソンは、言わばわずかな修正で、ベルを現代に会わせ直すことができたわけだ。(ジャスミンについては、見てないけど多分)

しかし、アリエルは違う。

リトルマーメイドは、古典的プリンセスストーリーの王道。

王子より、男性より、人間より下の立場から、救いを求めて、美貌だけを武器に王子に救われる話。

現代的な感覚から言えば「女性差別そのもの」が形になっているようなストーリー。

この役を非白人の女性が演じたらどうなるか。

まだ白人による有色系に対する差別が根強く残る現代において、「アフリカ系の肌の色の女の子」が「白人の王子」に憧れて「私もあの世界に行きたいのに」と涙する歌を歌い、悪魔に魂を売ろうとするのだ。

これは、グロでしかない。


ディズニーの挑戦

『プリンセスが全員白人女性なのはポリコレ的にまずいから今回はアフリカ系なんだろう』

なんてことを言っている人たちがいる。

ディズニープリンセスの歴史もポリティカルコレクトネスのなんたるかも、なにも知れない人たちだ。

やるなら美女と野獣でやればよかったのだ。

リトルマーメイドでやるのはあまりにも無謀な挑戦と言わざるを得ない。

リトルマーメイドはそもそもストーリーがポリティカルコレクトネスに反しているのだ。

アフリカ系の女の子が白人の王子に見初められるために、体の一部を失うリスクまで犯す。

「Let it go!」

(自分の本当の力を解放する!もう、私は本当の私をかくさない!)

と歌ったエルサとは正反対だ。

下手な演出をすればどんな批判がどれだけ巻き起こるか、すでに目に見えるようだ。

そのリスクを承知で、それでも

「彼女しかいない」

と思わせたハリー・ベイリーの才能と努力に敬服するばかりだ。


実写版リトルマーメイドは新しいディズニープリンセスストーリーの始まりかもしれない

しかし、ディズニーはやってくれるに違いない。

原作を壊さず、しかしそれでいてそんな批判が微塵も起きないような、奇跡の演出をするしかないし、彼らはそれをやるつもりなのだ。

それはもう、彼らが美女と野獣でやったような小手先のことではあるまい。

きっとディズニープリンセスの概念そのものがかわるような、革新的な演出になるはずだ。

アナと雪の女王は第一期のプリンセスのパロディだった。その後の実写版二作は第二期のプリンセスの修正版。

もちろん実写版のリトルマーメイドは、アナと雪の女王から始まった「ディズニープリンセス第三期」の集大成なのだろう。

そしてそれは第一期、第二期、第三期を通して、ディズニーが約一世紀に渡って作ってきた「プリンセスストーリー」の総決算に他ならない。

しかし、もしもディズニーがこの後もプリンセスストーリーを作り続けるのであれば、その新しいディズニープリンセスストーリーの始まりにもなるのだ。

いや、そうなるに違いない。

このキャスティングからはその意欲がありありと伝わってくる。

もう、今までのプリンセスではないよ、というメッセージとともに、新しいプリンセスを見てくれというメッセージを強く感じる。

そのとき、あの、アリエルが海底で歌う

彼らが歩く場所

彼らが走る場所

彼らが一日中太陽の下で過ごす場所!

自由に歩きたい

なれたらいいのに

あなた世界の一部に

Up where they walk!

Up where they run!

Up where they stay all day in the SUN!

Wandering free

Wish I could be

Part of your world…

という歌も、アリエルのみならず、褐色の肌でディズニープリンセスを演じた初めての女性である、現代の「シンデレラストーリー」の主人公であり、新しいプリンセスの第1号となるハリー・ベイリーの姿とも重なって、全ての人にとって最も勇気付けられる歌のひとつになるに違いない。

一度はディズニープリンセスの集大成として作られたリトルマーメイドが、もう一度改めてディズニープリンセスの集大成として、さらに、新しい時代のプリンセスストーリー、つまり、全ての人に感動と夢と希望と力を与える物語に作り直される。

まだ撮影はおろかキャスティングすら決まっていないこの映画は、私の一番好きなディズニー映画になることがもう決まっているのた。

永遠のディズニープリンセス、ミニー

おまけ

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