「負うた子に教えられ」の意味
たいきがなにやら小さなボール紙でできたおもちゃの箱を持ち歩いていて、ベッドの中にも持ち込んでいた。
「おとーしゃん、ちょこれーとたべゆ?」
などと言う。
「チョコレート?じゃあ頂こうかな。食べていい?」
と聞くと、箱からなにやら取り出すそぶり。
そして何かをつまんでるよな手つき。
なにもつまんでないのだけど、その手をわたしの口元に持ってくる。
「はいどうじょ」
なるほど。
ごっこ遊びだ。
「あーん。ぱく!むしゃむしゃ。」
「おいしい?」
「あ、うん!甘くておいしいよ!」
「たいちゃんも!あーん、むしゃむしゃ、おいしい!」
「おいしいね!」
やれやれ。
早く寝てほしい。
と思っているとまた、
「おとーしゃん!」
ん?なんだ?
「あいがと、して。」
「あ、ああ、そうだね。ごめんね。ありがとう」
「どーいたまして!」
確かに。
いろんなシーンでちゃんとお礼を言うことやごめんねすることを教えてきた。
これはうかつだった。
「負うた子に教えられ」
と言う言葉があって、まさかまだ2歳の子供にこんなことを教えられてしまうとは思わず、うれしいやら恥ずかしいやら。
私はこの
「負うた子に教えられ」
と言うのは「昔おんぶしてやった子供が成長して何かを教えてくれるようになった」ということだと思っていたのだけど、どうも違うらしい。
正式には
「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」
と言うのだそうで、類語には
「三つ子に習って浅瀬を渡る」
と言うのもあるらしい。
要は、今おんぶしてる子供に、背中から教えられることなのだ。
出典はよくわからないけど、まあ諺の類だから、三つ子といったら数えの三つ。
つまり2歳のことだろう。
2歳くらいになるともう、何か考えたり判断したり教えたりできるのだということか。
後生畏るべし。

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