新元号「令和」の意味と私の願い

ニュース関連

万葉集の梅花の序文

于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。

からとったらしい。

万葉集の歌で「花」といったら実は梅のことで、万葉集の時代には、実は桜というのはあまり人気がない。

これは大学の文学の先生がお話されていたことで、自分で調べたわけではないけれど、桜というのは基本的に山に咲いているもので、あまり自宅の庭に植えるような性質の花ではないらしい。

今でも桜を植えるのは役所とか城とか学校とか公園とか、ちょっと特別な場所が多い。


ちなみに、「梅」という漢字は仏教の経典かなにかで日本に伝わって来たころ(西暦5~600年くらいとか?)の読み(呉音)では「メ」と読まれていた。

万葉集が編纂されたのは780年頃とされている。

「梅」は古くは「うめ」「むめ」とも仮名書きされていて、今は「うめ」というのは訓読みということになっているけれど、これは当時の「梅」の発音が「mme」だったことをあらわしている。

「うめ」という名前は「梅」という漢字の古い中国語の読み方(呉音)である「メ」に由来しているので、「うめ」は正確には「大和言葉(古来の日本語)」ではなく、古代中国語だ。

ちなみに、同じような成り立ちの言葉としては「馬」などもある。

余談だけれど皇室のシンボルにもなっている「菊」の読みである「キク」も中国語のまま(つまり音読み)で、大和言葉の名前(訓読み)はない。

さらにちなみにいうと、万葉集には菊の歌はない。

枕草子なんかには菊の花についての話が出てくるので、平安時代までには菊の花は日本に輸入されていたらしい。


余談が長くなった。

梅は奈良時代に中国から輸入されて、「うめ」が日本語だと私達が誤解するくらい貴族の間ではやった。

時代はだいぶ下るけれど、菅原道真公(900年頃)が庭に植えて愛したのも梅の花だし、清少納言(1000年頃)も枕草子の中で「木の花といったら濃くても薄くてもいいけどとにかく紅梅がナンバーワン!(木の花は濃きも薄きも紅梅)」といってはばからない。

梅はかなり長い間、人気の輸入ブランド品だったわけだ。

まして万葉集の時代であれば輸入されたばかりだったかもしれない。

たくさんの歌が詠まれたことも頷ける。


いうまでもないけど、漢字だって詩集だって中国から来たものだ。

最先端の文化である「詩歌」を最先端の文化である「漢字」で記録するという超マニアックで、かつ、エスタブリッシュな一大イベントが万葉集の編纂だった。

こんなことができるのは当時最先端の学問だった中国文化の勉強を死ぬほどやったエリート貴族しかいない。

そしてこの中国文化マニアで、秀才で超エリートの編纂者はそこに序文をつけることを思い付く。

誰だか知らないけど、間違いなく当代一の知識人で趣味人だった彼は当然『蘭亭序』を知っていた。

蘭亭序というのは、詩人がみんなで集まって詩を書く大会が「蘭亭」というところで開かれたのだけど、その大会で作られた詩集の序文のこと。

これを書いた人が天才書家の王羲之だったので、全ての書道をする人がお手本にしている文章のことだ。

それをまねしてこれを書いたのだ。

于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。

どう訓読してもいいようなものだけど、こんな感じだろうか。

「時に、初春令月、気は淑(よ)く風は和み、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香りを薫らす」

意訳するならこんなところか。

春のうららのあたたかさ

風は和らぎ吹きわたる

おしろいつけた梅の花

蘭も着飾り香り立つ

(訳者、私。適当訳)

ちなみに珮というのは宝石(玉)で出来た装身具のことのはず。

確か高校で習った史記の劉邦暗殺未遂の下りに出てきた。

梅の花を「おしろい云々」と例えていることを考えると「珮後の香」というのは女性の服のなかの香り(体の香り)のことを言っているのかもしれない。


よく覚えていないけど、蘭亭序にも「風が和み」みたいなよく似たフレーズがあった。

同じ春の詩集だし、そもそも詩集に序文をつける発想が蘭亭序から来ているのだから当たり前といえば当たり前だ。

こっそりぱくったわけではない。

むしろ蘭亭序を本歌取りすることが教養の証だったのだ。

輸入されたばかりの最先端の文化に感化されて「ちょ、俺たちもあれやってみようぜ!」ということなのだから。

万葉集は和歌の歌集だけれど、序文は漢文で書かれている辺りに、当時の人たちの漢文化へのあこがれと崇敬を感じるのだ。

こんなこと、いうまでもないことなんだけど。


今回、元号という文化を継承するなかであえて「国書(日本の本)」から決めようということをやったらしい。

実にバカらしく、実に下らない取り組みだ。

日本の文化は中国から輸入され、中国のものを模倣して発展してきたものだ。

そのことは恥ずべきことでもなく、隠すべきことでもない。

かつて大陸にこの国よりはるかに高度な文化を持つ国があり、その恩恵を受けて我が国の伝統や文化が形成されてきたのだ。

私は、あえて1000年以上日本人が精神的支柱としてきた漢籍の文化を捨てる、と宣言したことに、とても強い違和感を覚える。

中国と必ずしも良好な関係でなかった時代にも、中国由来の元号である「大正」や「昭和」を改元することなどしなかった。

それを今回あえてやった人達は、日本の教養文化そのものを踏みにじってまで、「中国文化からの脱却」を演出したかったのか。

それでは「うちの国が世界最古の国」だのと言い出したりするあの国の右寄りの人たちと変わらないではないか。

自らの文化を否定してまで隣の大国に喧嘩を売りたいという精神性が理解できない。

しかも、それでやっていることは「中国の文化を崇拝してた人が作った中国文芸のオマージュ」から「中国の文字」を選んだという滑稽ぶりだ。

本気でやりたいなら歴代天皇や古事記の神々の詠まれた短歌から大和言葉を選んで元号にでもすればいいのだ。

わかりやすく「みずほ」とか「やくも」とか「やえがき」とかでいいわけだ。

あえて「国書」から選ぼうと言ったことに、無教養が溢れている。


令和、だそうだ。

令、には『法律、規則、コントロール(法令、の令)』というような意味と、『良い(令嬢、とかの令)』という意味がある。

だから『令和』は『平和を守る』という意味と、『よい平和な時代になるように』という意味があるのかなと思う。

どうもこれを考えた為政者は無駄な喧嘩をしたいようにしか見えない。

しかし言葉は言葉だ。

言霊があり、力になってくれるかもしれない。

まだ平成も令和も知らず顔のたいき、そしてこれから生まれてくる子供のために、せめて「令和」の間だけでも、平和な時代が続きますように。

■たいきのパパをtwitterでフォローする

■ブログをメールでフォロー

メールアドレスを登録すれば、更新の通知をメールで受信できます。

6,632人の購読者に加わりましょう

アーカイブ

カテゴリー