2歳半のしつけについて考える
最近たいきは、おやつを食べたがったときなんかに「今はダメ」みたいなことを言うと
「おやつ食べたかった(*´;ェ;`*)」
みたいなことを言うようになった。
以前はひたすら
「おやちゅたびたい、おやちゅたびたい、おやちゅたびたい…」
を繰り返し、もらえないとなると泣きわめくばかりだったことを考えると、随分急に成長したように思う(もちろん今でも同じことを繰り返すことも泣きわめくこともある)。
こういうときに
「おやつ食べたかったね。我慢してくれてありがとう」
と共感して受け止めて、お礼をいったり謝ったりするのが、しつけとしていいんじゃないかと思っている。
たいきはまだ2歳だから、物事の理非(善悪の区別)はわからない。
人に共感する(他人に気持ちがあることを理解する)能力というのは4才くらいから身に付くという記事を読んだこともあるし、確か以前NHKの番組では5才くらいから身に付くという研究があると言っていた。
人に共感する能力かまだないたいきに、ものごとの理非を教えるのは無理だ。
なぜなら、「悪いこと」というのは大半が誰かに不快な思いをさせるから「悪いこと」とされているからだ。
ある一定の行動を禁止することはもちろんできるかもしれない。
しかし、それが誰かにとって不快なことだからやめてくれ、というのは、不快感に共感する能力がないと理解できない。
2才児が誰かを叩いたりしたとして、「あなたもこれをされたら嫌でしょう?」という指導は効かないのだ。
自分は嫌でも、人にも同じ感情があるということを理解できないのだから。
さて、たいきは
「おやちゅ、たべたかった」
と言うようになった。
これは、なかなか複雑な感情だと思う。
食べたい、というのはとで単純だ。
今の気持ちをストレートに表しているだけだ。
しかし「食べたかった」というのは、ただ食べたい、ではなく、食べたいけどダメだから我慢した、ということを訴えているわけだ。
この複雑な感情をきちんと受け止めて言葉にして共感してあげることで、より複雑な感情を持つことができるようになるし、それを伝えることもできるようになるように思う。
今は、様々な感情をきちんと言語化してあげたり、きちんと共感してあげたりすることで、色々な感情の引き出しを作ってやりたいと思っている。
そうすることで、他人に共感する能力、というか、他人の感情に対する認知が生まれたときに、他人の感情を様々に想像する能力が身に付くと思うからだ。
自分の引き出しに整理されていない感情を想像することは、とても難しいことだろう。
しかし、様々な感情のストックを整理してつくっておいてあげておけば、その中から「この人が感じているのはこれかな」と想像することができる。
しかも、その感情に共感された経験があれば、それを模倣して共感することもできるようになるのではないか。
してはいけないことや、させられないことをただ禁止したり、叱りつけたりしても、それをしないようにはなるにせよ、人に共感する能力は育つまい。
本当のしつけというのは、人の不快感を想像して、それに共感する能力を身に付けさせることなのではないかと思う。
まあ、まだ子供を育てたことがあるわけではないのでそれが正解なのかどうかはわからない。
しっかりたいきを観察しながら、ゆっくり考えていきたいと思う。
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