『唖然』は差別語なのか

日記

唖然、の辞書的な意味

唖然、という言葉は辞書で引くと、大体

思いがけない出来事に驚き、声が出せない様

というような意味が出てくる。

ここに差別的な要素は感じられない。

ところが、この、『唖然』という言葉は、字面から二通りの解釈ができる。

唖然の意味①

唖、という文字には『声が出せない様子』という意味がある。

で、然、という文字には『~という状態』という意味がある。

なので、合わせると『声が出せない状態』となる。

~然、という単語のなかでは、自然、毅然、茫然、泰然、等がこの使い方で『然』を使っている。

唖然の意味②

唖、という文字には『おし』という訓読みがあって、これは『言葉をしゃべれない人』を指す差別語だ。

ちなみに、聾唖者、聾者、唖者、という言葉があって、それぞれ意味が違う。

聾唖者:耳が聞こえず言葉がしゃべれない人

聾者:耳が聞こえない人

唖者:言葉がしゃべれない人

昔は、特に先天的な理由で耳が聞こえなければ言葉もしゃべれなかったから、聾と唖は切り離せない関係にあったらしい。

しかし、今は手話も発達し、また、聾者でも訓練で読唇と口話でコミュニケーションできるようになっている人もいる。

もとの意味とは違うかもしれないが、生まれつきの聾者はいても、彼らは手話を身につければ唖者ではないのだ。

全日本ろうあ連盟もその目的を「ろう者の人権」の尊重としている。

聾者に十全なサポートがあれば、聾唖者にはならない、という背景があるからだろう。

純粋な聾唖者というのは相当減っていると思われる。

しかし、かつては聾唖者、あるいは唖者というのは確実にいて、彼らは差別の対象になりやすかった。

今は耳の不自由な方の中にも誇りをもって「聾者」と自称する人もいるらしい。

しかし、唖者については、そもそも唖者の人口が減っているだけに、そういう風潮があるとは寡聞にして聞いたことはない。

で、然、という文字には『(~の人)のようだ』という意味もある。

この使い方だとすると、唖然とは『おしのような状態、つまり、言葉が出せない状態』という意味になる。

この解釈だと、これは明らかに差別語を含んだ表現だ。

ちなみに、この使い方の『~然』という単語は『村夫子然』(田舎の教師みたいな)が一番辞書に出てくる言葉で、他にも『貴族然』『紳士然』『力士然』等、人の属性を示す言葉に繋げて自由に作ることができる。

唖の本義と唖然の歴史

本来であれば、そもそも唖という文字の本義と、唖然という言葉が使われ始めたときにその文字がどちらの意味で使われていたのか、というところまで遡る必要があるが、残念ながらそれを示す資料は見つけられなかった。

言葉がしゃべれない人を指す文字としては『やまいだれに亜』という文字もあるらしい(新大字典、講談社)が、唖然という言葉がそちらから出てきたという確証もない。

なので、この言葉の歴史を追うことは私にはできなかった。

唖然という言葉を使うべきなのか

私は、唖然という言葉の成り立ちが言葉の不自由なひとを指す差別語から来ている可能性は否定できないと思う。

また、『唖然の意味②』で列挙したような『~然』という言葉を普通に知っていて、かつ、唖という文字の『おし』という訓読みも知っている人であれば、『唖然とする』は自然に『おしのようになる』と解釈され得る言葉であることは間違いない。

『差別語だ!』とあらゆる言葉に目くじらを立てて言葉狩りをすることにはあまり共感できないし、特にこの言葉に関しては今まで見てきたように、差別語であるのかどうかも曖昧であることは間違いない。

しかし、私は上記の考察から、この単語は使用することに一定の躊躇を感じるし、不要な誤解を避けるためにも、できれば使用を避けたいと思っている。