プラゴミを捨てるのを忘れたお父さんの頭のなかでは「また会う日まで」(尾崎紀世彦)がずっと流れていた
先日からたいきの体調が悪くてせきが出ている中、奥さんは夜間ずっと腕枕と授乳でろくに寝ることができなかったらしく、とうとう風邪を引いてダウンしてしまった。
いまいち状況がわかっていなかったことを猛烈に反省しつつ、昨夜はたいきを引き取って、奥さんには一人で寝てもらった。
たいきは1時と4時に起きた。
その度に
「おかあしゃんは?」
「お母さんは具合悪くて寝てるから、起こさないであげようね」
と言って、抱っこしたり子守唄を歌ったり外を散歩したりしたものの、結局、水もジュースも拒否しておっぱいが必要で奥さんを起こさざるを得ず、申し訳なかった。
そのままお母さんから離れてくれないかなと思ったけれど、幸い、15分ほどおっぱいを吸ったら満足して、また私と寝に戻ってきてくれた。
お母さんが具合悪いことはわかってくれたらしい。2才ながら、大人になったもんだ。
今朝はそんなわけで、夜がいつもと違ったからどんな機嫌かわからない。最悪、ご飯は食べないかもしれない。
まだ本人の体調も万全ではないし、嫌いな薬も飲ませなきゃいけない。場合によってはここまでしないと服まない。
昨夜は雨だったし、今日辺りから気温も大分低くなってきたので、服装も少し夏から秋に変えなきゃいけない。
下着必須となると、着替えには時間がかかる。何しろ一枚着せるのもひと仕事ということがあるのだ。機嫌によっては二枚(下着とシャツ)を着せるだけで大戦争だ。
何しろイヤイヤ期まっさかり。なにかひとつ火がつけば、なにも進まない。万事、慎重に進めなければならない。
と、色々重なったので、今朝はいつもより30分くらいは早く支度を始めた。
ご飯は「ギョーザ!」(焼きはじめるまえにオーダー変更)と言ったり、「しゅーまい!」(レンチンしたけど食べなかった)と言ったり、少し翻弄されたけれど、なんとか済んだ。
薬も今日はご機嫌に服めた。
着替えは意外とあっさり。
おお。
なんだかんだでいつもより20分くらい早く支度が済んだ。
保育園には行ってもいい時間なので外に出ようとする。
しかし、そうすべてがうまく行くものではない。
というか、本番はこれからだった。
たいきが冷蔵庫の前でまるでどこぞの神官のように静かながら厳かに、そして決然と言った。
「あいしゅ、たべる」
ここで、アイスか…
呆然とする私を尻目に冷凍庫を自分で開ける。アイスには手が届かない。
「ばっこ!(抱っこ)」
しかたなく抱っこをしながら考える。
いやどう考えても、さすがにアイスを食べる時間はない。食べ始めたら途中でやめさせるなんて無理だし。
どんなにおとなしい猫だって犬だって食事中に邪魔すると引っ掻いたり噛みついたりするのだ。食べ始める前に阻止しなければ。
冷凍庫を見たら食べかけのアイスがあった。これなら10分くらいでいけるかも。
やった!と思ってそれを渡したらメチャクチャ怒られた。たいきが泣きわめく。
無念。
しかし、ここで引くわけにはいかない。
「ごめんね、時間がないんだよ。ジュース飲む?」
と言うとたいきが泣き止んでうなずいた。
よし!
ジュースなら2分。
何の問題もない。
冷蔵庫から紙パックのジュースを出してやると、たいきがまた口を開いた。
「コップ」
えー。このジュース、コップで飲んだことないじゃん。
コップくらい出せばいいじゃんと思ったあなた。甘い。
たいきが使うコップは「かばさん(ムーミン)」のコップが3つ、「ひこーき(JALだかANAだかのノベルティ)」が2つ、「アンパンマン」のグラスがひとつ。その他にも大人のコップじゃなきゃ嫌なときもある。
なんでもいいわけじゃないの。お茶のときなんか「コップ」と言うからひとつひとつ確認して全部泣いて断ったあげくにペットボトルから直接飲んで、コップで飲みたかったんじゃないんかい!なんてこともあるの。
今日は幸い、かばさんを2つ見せてお伺いを立てたところで、たいきは不機嫌そうに、でもはっきりと
「おっきいコップ!」
とのたもうた。おっきいコップは、普段私が使ってる大きいグラスのこと。
このジュースを飲むにはずいぶん大きいから飲みにくいに違いないけど、気にしてはいられない。
とにかくご宣託は下ったのだ。
コップを出して、紙パックから移す。
案の定、半分もない。足りないと言わないだろうかと不安でドキドキしながらコップを笑顔で渡す。
たいき、頼む。
黙って口をつけてくれ。
そして飲んでくれ。
心の中で祈る私。
たいきがこっちを見た。
「すとろー」
なるほど。そうくるか。
紙パックについてるストローは明らかに長さが足りない。
お出掛け用の資材置き場から、一本一本紙に包まれた長いストローを見つけてきて一本取り出して開けようとする。
たいきが満足そうに笑顔になってまた口を開く。もう開かなくていいよ、と思う間もない。
「ぴんく」
色の指定を頂きました。
幸いストローの包み紙はちょっと透けている。今開けようとしてるやつは明らかに青だ。
まて。
ピンクに見えて実は赤とか。ピンクのストローなんてそもそもないとか。そんなのはほんとに勘弁ですよ?神様。お願い。
ピンクに見える紙包みを取り出してそっと開けると、やった!ピンクだ!
「お父さんが出していい?」
自分で出したかったのに!と泣かれると、本当に長い。ここは慎重に。多少時間がかかっても、自分でやりたければ自分でさせた方が早い。
「いーよ」
お許しが出た。ストローを紙包みから取り出して、たいきに渡す。
たいきはコップに自分でストローを突っ込んで、一気に飲み干した。
よし!やった!
飲み干したたいきが、空になったコップをこちらに渡しながら言った。
「もーいっこ!」
お父さん、泣いていいかな。
ジュース2本飲むと下痢確定。
だから飲ませられない。
これまでか…
「ごめんね。2本はダメ。夜飲もう。」
泣かないでくれ。
たいきは一瞬考えて
「うん!」
と言って玄関に向かって駆け出した。
身体中から力が抜けるのを感じながら、あわてて追いかける。
まだいつもより10分くらいは早いはずだ。気持ちが変わらないうちに連れ出せば何の問題もない。
支度が全部すんで靴を履いてから抱っこしたかったけど、たいきはすぐに抱っこしろと言う。
ここで泣かれたら、ここまでの苦労が水の泡。
しかたなくとりあえずたいきを抱っこして、靴ははかないというのでたいきを抱っこしたまま拾って登園バッグにしまって、腰を痛めないように転ばないように慎重に体を屈めながら自分の靴を履いて。
そして、二人でドアを開けて、二人でドアを閉めて、その時心は何かを確かに叫んだ。尾崎紀世彦が言いたかったのはこれか。(違う)
登園中にゴミの収集車とすれ違う。
「とーぼーしゃ!」
うん。あれは消防車じゃなくて収集車だね。おっきいね。かっこいいね。今日も町をきれいにしてくれてるね。
「しゅーしゅーしゃ!」
ああ。
そうだ。
今日はプラゴミの日だった。
でも、だからなんだって言うんだ。
今更戻れるわけなんてない。
ドアはもう閉めてしまった。
また会う日まで、会えるときまで、忘れたそのわけは、話したくない。
頭の中で、尾崎紀世彦がずっと美声を響かせていた。
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