お父さんであること, 子育てを考える

「もし今日が人生最期の日ならどうしたいか」と考えると子供に甘くなる ~スティーブ・ジョブズの伝説のスピーチ

私が今まで一番何度も見たYouTubeの動画は、「スティーブ・ジョブズの伝説のスピーチ」というやつ。これは彼が2005年にスタンフォード大学の卒業式に招かれて15分ほど話したもの。

一応、スティーブ・ジョブズを知らない人のために説明すると、スティーブ・ジョブズは最も尊敬されているアメリカ人の一人で、今のようなマウスで操作できるPCの元祖である”Macintosh(マッキントッシュ、いわゆる”マック”)”を作ったAppleの創業者。

そして、このスピーチの中でも言っているけど、自分で作ったAppleをなぜか追い出され、今度は世界一のCGアニメーションスタジオである”Pixar(ピクサー)”を立ち上げて、”トイストーリー”を世に出した。

それと同時に”NeXT”という会社で動画編集の技術を開発して、それまではテレビ業界の人にしかできなかった”映像制作””動画編集”というのを誰にでもできることにしてしまった。今のように誰でもパソコンで動画を編集してネットにアップするという文化の礎を築いたのは彼らしい。

その後でまたAppleに返り咲き、iPodをつくり、さらに、スマートフォンの元祖であるiPhoneを作った。

彼を経営者と呼んでいいのか、エンジニアと呼んでいいのか、わからないけれど、”世の中を変える”ということを成し遂げた人を”天才”と呼ぶのであれば、彼は間違いなく天才何人分かの仕事を、生きている間にしたと言っていいだろう。


世界一優秀なスタンフォード大学の学生達にとっても憧れであり、優秀な彼らだからこそスティーブ・ジョブズのことを”目標”とも考えるかもしれない。その彼が、来賓として招かれて壇上から学生達に向けて口を開く。興奮して歓声を上げる彼らに微笑みかけて「Thank You」と応え、まずは挨拶から。

「世界一優秀な大学の卒業式に、皆さんとご一緒できて光栄です。」

あこがれのジョブズにほめられて、学生達がひときわ高い歓声を上げる。スティーブ・ジョブズはすこしわざとらしく、大きくため息を吐く。

「ぶっちゃけ、私は大学を卒業してない。だから、これが今までで一番大学の卒業式に近づいた体験です」

そして、笑ってみせる。笑いと拍手が起こる。つかみはばっちりだけど、会場はザワザワ。

「今日は、私の人生から3つのストーリーを話したい。それだけ。大したことじゃない。」

だから静かにしてろ、と言ったわけじゃないけど、みんなが急に静かになって耳を傾け始める。どんどん聴衆が引き込まれていく。


わたしはこのスピーチが大好きで、このスピーチについて話し始めると本当に止まらなくなっちゃうんだけど、最近よく思い起こすのはここ。原文と翻訳を載せておく。

When I was 17, I read a quote that went something like: “If you live each day as if it was your last, someday you’ll most certainly be right.” It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: “If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?” And whenever the answer has been “No” for too many days in a row, I know I need to change something.

私が17歳のとき、私はこんな感じの文章を読みました。「もし毎日をあたかも最期の日のように生きるのならば、いつか最も確実に好ましい生き方ができるようになる」。私はこれに感銘を受け、それ以来、過去33年間、私は毎朝鏡を見て、自ら問いかけてきました。「もし今日が私の人生最期の日だとして、今日私がやることになっていることをやりたいだろうか?」。そして、その答えが「No」だという日があまりにも多く続くなら、私は何かを変えなければならないのです。

いろんな事件や事故、災害のニュースを見ても思うけれど、本当に今日が人生最期の日かもしれない。私にとって最期の日かもしれないし、たいきにとって最期の日かもしれない。

たいきが生まれて以来ずっと、私に今日何かあっても、たいきに明日何かあっても、後悔しないようにしたいと思ってきた。「もうすこしだけ抱っこしてやればよかった」とか「あのとき頭をなでてやればよかった」とか後悔するのだけは絶対にごめんだ。

腕なんか折れたっていい。いや、子供を抱っこして腕が折れることなんかないのだから、たいきが抱っこしてと言う限りずっと抱っこをしてやりたいし、何かいいことやたいきが誇らしげにしていることがあったら全力で頭をなでてやりたい。

もちろん私だって普通の人間だからこんなことを全力でずっとやっていたら肉体的にも精神的にも疲れちゃうし、だからこんなことを四六時中ずっとやれているわけでは全然ないのだけれど、一日の中でもときどきこのことを思い出し、思いを新たにしてたいきに接するのだ。


ところがだ。

お菓子が食べたい、とか、ジュースが飲みたい、とかいうときに困ってしまう。このスピーチのことを考えると、どうしたって与えてしまう。

与えない理由なんていくらでもあるんだと思うのだけれど「じゃあこのあとたいきがいきなり倒れたりして、こんなことなら最後にもうひとつだけクッキーを食べさせてあげればよかった、なんて思わないだろうか」などと考えてしまうと、もうだめだ。

もちろん、無制限に与えてるわけじゃなくてちゃんとある程度節度を持って与えるようにはしている(つもり)だけど、奥さんから見るとどうもお父さんはアマアマらしい。たいきも、奥さんがお菓子を開けてくれなさそうだなと思うときは最初から私のところにもって来てしまう。


しつけだとか体調管理だとかということが大事なのはわかる。

わかるのだけれど、それはそれ、これはこれ、で悩む日々なのだ。

ちょっとお父さんは甘すぎるんじゃないの?という奥さんに「じゃあ、今日がたいきの最期の日だとしたら、どうする?」と聞いたら「そんなの、食べさせるに決まってるじゃん!」と言っていた。ですよねぇ。

あまあまを続けようと言うわけじゃない。厳しくしようというわけでもない。

どうしようかなぁ、というお話し。


動画を2つ張っておく。

上のは英語で日本語字幕。音声出せない人はこちらをどうぞ。

下のは関西弁の吹き替え。これもすごくスティーブ・ジョブズっぽい感じがして、私は好き。

ちなみに、このスピーチの最後は有名なせりふ。「Stay Hungry, Stay Foolish」(ハングリーであれ、馬鹿であれ)。世界一優秀な云々、と始めたスピーチの最後が「馬鹿であれ」というオチ。そして、拍手喝采を受ける。何度見ても素敵だ。

 

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