どうでもいいルール 〜パーキンソンの凡俗法則

日記

パーキンソンの凡俗法則、というのがある。

人は大事なことにはあまり意見を言わず、どうでもいいことに限ってやたらと意見を主張したがる、という法則。

パーキンソンさんはこれを原子力発電所についての議論と自転車置き場についての議論の対比で説明した。

ちなみに1957年の話。


原子力発電所の建設計画というやつは、あまりにも莫大なお金がかかるし、あまりにも複雑なので一般人は口を挟まない(今は少し違うかもしれない)。彼らは、話し合ってる人たちは頭が良くて諸々のことを理解してるのだろうと思い込んでいて、結局、ごく一部の強い意志を持って推進する人の力で話が進んでいく。

自転車置き場については、大してお金もかからないし、日常的に見たり使ったりするものなので、みんな自分はそれについて理解していると考えて、やたらと意見を言う。まして、自転車置き場の屋根やら壁やらの色を何色にするかなどということについて議論が及べば、これはもう意見などまとまるわけもないほど様々な意見が出るに違いないのだ。


家庭や育児のことでも、こういうことってあると思う。

奥さんが主婦になるのか仕事をするのか、旦那さんの働き方はどうするのか、あるいは旦那さんが主夫になるのか。子供を保育園に預けているときに大災害が起こったらどうするのか、今の家に来年も住み続けるのか、家事の分担はどうするのか。

こういうことについて何日も何日もかけて話し合うということはあまりないのではないか。

一方で、ベビーカーの色選びとか、旅行の時の昼ごはんをどうするのかとか、お中元で実家になにを送るのかとか、子供にどの靴下をはかせるのかとか、靴下や服のたたみ方のルールとか、そういうことにどちらかが進めてることに対してもうひとりがいらないことを言い始めて、挙句にけんかになったりする。

そんなことが今までなかっただろうか。


別に、無いなら無いでいい。

なんでも二人で話し合うのは悪いことじゃ無い。

ただ、なんでも一緒に考えるスタンスで話し合うにはせよ、けんかするほど大事なことなのか、どっちでもいい程度のことなのかは、私はなるべくわきまえて話をしたいと思っている。

つまり、こちらにも意見を求めるけれど最終的に奥さんが決めたいと思ってそうなことについては、なるべくいつでも折れられるように話をする。

そもそも、どっちでもいいことなら、どっちを選んでも素敵な結論だねということを考えて話す。

どっちでもいい、というのは、どうでもいいということでもあるかもしれないけれど、どっちでもgoodだ、ということでもあるからだ。

よくしたもので、うちの奥さんはどうでもいいことについては私に相談したりしない。どんどん一人で決めてしまって飄々としている。

私に相談してもムダだ、と思ってるのかもしれないが、それが奥さんのストレスになっていないならそれでいいと思う。(✳︎業務連絡 : 奥さん、もしムカついてるなら教えてください)(✳︎✳︎うちの奥さんは私のブログ、全部読んでる。そして淡々と誤字を指摘してくれる。)


一方で、本来はちゃんと時間をとって話し合わなきゃいけないはずのことを、話し合わずに済ませてしまっていることは、結構ある気がする。

それこそ、災害時の対応についてなんて、どんなに話し合っておいてもいいことなのかもしれない。

昨日の記事の「どうでもいいルール」という言葉を見ててこのパーキンソンの凡俗法則を思い出したのでこの記事を書いて見たのだけど、いいきっかけなので、ちょっと、急ぎでは無いかもしれないけれど本当は大事で話し合っておかなければならないことというのが、何かないか考えてみようと思う。

パンとスパゲッティを一緒に食べさせるはどうなのかということも、十分議論の余地がある