夫であること, 子育てを考える, 人気記事

「子供を可愛がってくれる旦那」とは何者なのか

奥さんが、知り合いから「たいきくんのパパさんは家事育児よくやるみたいだけど、どうしたらそうなったの?」と聞かれて困ったという話をしていた。

うちの場合、奥さんも私も家事育児をするけど、お互いに自分がやることは当たり前だからやってるだけで、多分それはそんなに特別なことではない。

あえて言えばお互いに、相手がやってくれることは当たり前だとは思ってないので、いつも感謝を口にする。

だから、お互いに気持ちよくやれている、ということはあるかもしれない。


どうもその女性の旦那さんは、子供を可愛がりはするらしいんだけど、いわゆる「めんどうなこと」はしないらしい。

もちろん家事はしないしおむつも替えない。「うんち出てるよ」って奥さんに伝えるのが仕事だとおもってる、あれだ。

「子供を可愛がってはくれるらしいんだけどねぇ」

奥さんがそういってるのを聞いて、先日見たあるツイートを思い出した。それは、

「寝かしつけの苦労も日々の健康管理もせずに、子供の寝顔だけ見て『子供の寝顔ってほんと天使☆』みたいなことを言ってる旦那を見てると殺意わく」

みたいな内容だった。


子育てというのはもちろん楽しいものなんだけど、楽しいことばかりではない。

前にも書いた(「奥さんのやる家事育児と頼まれてやる家事育児の違い」)けど、ひとつひとつは楽そうでも、まとまってくるとえらく大変なのだ。

私は、子育てはドミノみたいなものかもしれないと思う。ドミノ、やったことないけど。

ひとつドミノを並べるのは簡単だ。でも毎日ずっと並べ続けるのは多分すごく大変。

もちろん倒したら台無しになる。とても神経の疲れる作業だ。

これを、200個とか1000個とか、やったことないから具体的な数のイメージがわかないけど、そのくらい並べて、ふと顔をあげて見ると「きれいにならんだなぁ、ずいぶんのびたなぁ」なんて思ったりするんだろう。


この「ずいぶんのびたなぁ」「きれいだなぁ」とながめるところだけやるのが、子供を可愛がって「くれる」旦那さんというやつだ。

ただの美味しいとこ取りだ。一緒にドミノを並べてくれてるわけではないのだ。

並んだドミノを一緒に見て喜んでくれて、それが嬉しい人もいるかもしれないけれど、私はあまり嬉しいとは思わない。

しかも、たまに一部倒しちゃったりする。寝かしつけを邪魔したり、お菓子をあげちゃったり、たまに子供を見ててといわれてよく見てなくて怪我させたり。

いいからもうこっち来んなといわれても仕方ないのだ。

「旦那さんが子供を可愛がって『くれる』」なんて言い方を、誰が言い始めたのか知らないけれど、今はもうこんな言い回しは日本語には必要ない。

昭和は30年も前に終わり、今や平成も終わりかけている。

『くれて』るばあいじゃあないのだ。


一緒にやってれば、二人でやることだからちぐはぐになることもある。

二人でやってるせいで倒れちゃうことだってある。

でも二人でやれば、支えあい、励まし合って育ててきたのを、時々二人で顔を見合わせながら「こんなにがんばってきたね」なんて言い合える。

いつか、「立派になったな」なんて言い合えるかもしれない。

一緒にここまでやって来てくれてありがとう、なんて、言い合えたら最高だ。

でも、ずらーっとならんだドミノの列が倒れてどんな絵になるのか、それがわかるのはずーーっと先のこと。

ひょっとしたら、終わりなんてないかもしれない。

いずれにせよ、並んだドミノを眺めるだけの人とは、私ならやっていけない。

パートナーが、一緒に楽しくやれる人で本当に幸せだと思う。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください