いつの間にか「たいき君」は「たいき」になっていた

お父さんであること, 子育てを考える

父も母も私に暴力を振るっていた。

愛情も注いだかもしれないけれど、暴力も振るっていた。

これをどう咀嚼していいのかわからず随分長いこと悩んだ。

あるとき、母とケンカして「おれは子供を殴らない」と言ったら「打たれずにまともな人間に育つものか、それは見ものだ」というようなことを言われた。もう10年以上前の話だ。

そのときは「確かに」と思った。

恐ろしい話だ。

祖父から暴力を受けていた母は、今になってフラッシュバックに悩んでいるらしい。

私も一時期、不眠やフラッシュバックのようなものに苛まれた。

打たれた子供は、そういう大人に育つのだ。


子供が生まれた時に、私はこの子があらゆる差別や偏見や、暴力や不当な扱いから自由であってほしいと祈った。

それはとても自然な気持ちだった。

そのときにはっきりとわかった。

私は子供を叩きたくない。

私の子供には誰にも叩かれて欲しくない。

それで、子供に「たいき」と名付けたとき、敬意を持って接するために「たいきくん」と呼ぼうと決めた。

私にとって最初の虐待対策だった。

名前を呼び捨てにするのは、一度でも暴力を肯定する気持ちになっていた私にとっては危険だと思った。


1年10ヶ月子育てをしてきた。

毎日抱き、毎日着替えさせ、毎日おむつを替え、毎日ご飯を食べさせた。

ふと気づいたら、わたしはたいきを「たいき」と呼んでいた。

絶望的な気持ちになった。

いつの間にか、敬称を外して呼び捨てにしてしまっていた。

おそるおそる「たいきくん」と呼んでみたらたいきは「あい!」と返事をしてくれた。


覚えず涙が出た。

親愛の情を込めて、たいき、と呼びたい。

「たいきくん」という呼び方は、私にとってはつまり距離を作る呼び方だ。

あのバカな親達が私をぶったり蹴ったりしていたばっかりに、私はこんなにも愛しているたいきを「たいき」と呼ぶこともできないのか。

悲しくて、たいきを抱き締めた。


まだ、悩む。

こんなにも自覚し、自戒している自分を信じていいのか。

それとも、自律のためにも形を大切にするべきなのか。

結論は出せないでいる。

どうしたらいいのかなぁ。

どうしようかなぁ。

誰かに正解を教えてほしい。