子供は泣かせなきゃいけなかった
日曜夕方から昨日の深夜に及ぶ出張。
今日は実に四日ぶりにたいきと風呂にはいった。
たいきもすこし興奮ぎみにはしゃいでいたのだろうか。
うちの狭い狭い風呂。たいきが5、6歩も歩けば端からはじまで行けてしまう風呂で、3歩たたっと足早に歩いて、ものの見事にすってーんと転んだ。
プラスチックの床に頭がコンとぶつかったのがはっきりわかった。
一周、痛くはなかったかな?と考えて見ていると、みるみる顔がゆがむ。
あわてて「あー、いたかったね」と話しかけながら抱き起こして頭を撫でて抱き締める。
「よしよし、いたかったね、びっくりしたね、頭いたい?ここ、痛いかい?あー、よしよし、ほんとにビックリしたねえ。ごめんね。」
話しかける間に、たいきは大きく口を開けて顔は完全に泣き顔、いまにも大声で泣き出しそう。
なのに、泣かない。
ふと思い付くことがあって、話しかけるのをやめた。
すると、たいきがその顔のまま大きく息を吸い込んだ。
「あーーーーーーん!」
ようやく泣き出したたいき。
改めて頭を撫でてやりながら、今度は泣き声をちゃんと聞きながらゆっくりと話しかける。
「うわーーーん!」
「よしよし。」
「えーん!」
「ごめんね。」
「えーん」
「痛かったね」
「あー」
「びっくりしたね」
「うん」
「ここ、いたい?」
たいきが首をかしげた。
痛いかどうか一生懸命考えてるようだ。
どうも痛くなかったらしい。
まだべそをかきそうな、不安そうな顔はしてる。まだ怖かった気持ちがドキドキしてて緊張はしてるみたい。
「よしよし、びっくりしちゃったね」
ひしとしがみついて私の肩に顔を埋める。
しばらく頭を撫でてやった。
いつも風呂場で遊んでるおもちゃにもさわらず、しがみついたままのたいきの体を洗ってやったらやっと笑顔になった。
どうも奥さんが言うには、こういうときの私は、たいきへの共感が早すぎるらしい。
ちゃんと自分の気持ちを泣くことで吐き出し、それを受け止めてあげてから共感してやらなければいけなかったと思う。
大人相手でもそうだ。
ちゃんと話を最後まで聞いてもらって、それから共感されて初めて癒される。
まだ言葉少ない子供だからこそ、全力で大きな声で気持ちを私に訴える。
勝手に気持ちを忖度してなだめたりするよりも、その気持ちを受け止めてあげることの方がはるかに大切だろう。
勝手に察して先回りするのは、いわゆる過干渉というやつだ。過干渉が子供にとってよくないのは言うまでもない。
またひとつ利口になった夜だった。
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