「子連れ様」問題について

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「子連れ様」という言葉を遣う人たち

どうもtwitterでパパアカなんてやってると、「子供嫌い」みたいなアカウントさんにたまに絡まれることがある。

最近は少しだけ彼らも進歩して「子供が嫌いなんじゃない。子供をしつけられない親が嫌いなんだ」みたいなことを言ってたりもする。ようやく何にイライラしてるのかだけは気がついたらしい。

どうもあの手合いも絡む相手は選ぶようで、どの世界でも同じだけど、私みたいな壮年の男性アカウントに絡むのは稀で、大体若い女性アカウントに絡んでるみたい。


「子連れ様」は何を言われるのか

お母さんたちは自分の子供が変じゃないか、未熟じゃないか、いつも不安に思ってる。子供を守らなきゃいけないこともあっていつもビクビクしている。自分の子供しか事例がないなかで「こんな子もいるのに!」などとどこかのおとなしい子供の話をされると「私の育て方が悪いんだ」などと追い詰められもする。

そんな必要はまるでないのだということを、特に「子供をコントロールすること」「公共の場の意味」についてから、説明してみたい。


(1)子連れ様は子供をコントロールできるのか

子供というのはまあ、残念ながら大人の思うようにはいかないものだ。

例えば、なにかに触りたいと言いだす。触らせないと泣き出す。

ここまでは誰でもわかる。

泣き出したからといってうかつになだめようとすると、もっとことさらに大声を出す。要求と違う対応をされているのだから当然だ。違うものに気をそらせようとしても、もちろん同じことが起こる。そんなに簡単に騙されはしないのだ。

そこで諦めて、そのモノに触らせようとしてももう聞かない。今、彼(彼女)は怒っているのだ。触りたいから、その交渉のために泣いてるのではない。

触れなかった

悲しい

悲しいから泣く

泣いてる理由は忘れる

悲しさと怒りで泣く

悲しさや怒りが収まらない

それが収まらないことが悲しくて泣く

という具合。こんな時にどうしたらいいのか。まずもって難しい。泣く子をコントロールするなんて不可能だ。できるのは、それ以上エスカレートさせないように、穏やかに話しかけるくらいしかない。きつい口調や大きな声は、てきめんに状況を悪化させる。

有名な諺にも「泣く子と地頭には勝てぬ」というのがある。泣く子も権力者も、理屈は通じないのだ。ダメなものはダメ、イヤなものはイヤなのだ。

イヤなことがあって「テコでも動かないぞ」という決意を固めるたいき

(2)子連れ様と公共の場所

コントロールできない子供を公共の場に連れてくるな、というのもよく見かけるが、これは極めてわかりやすい間違い。公共の場というのは健康な体を持つ成人男子だけのためにあるわけではない。もちろん、健康な体を持つ成人男女だけのためのものでもない。

万人が使う場所だから公共の場というのだ。この中には目の不自由な人もいれば高齢者もいるだろうし、当然新生児も幼児もいる。そして、その人たちが平等に公共インフラの恩恵に与れるようにするのが公共機関や法律の役目で、そのために何を配慮すべきなのかを考えることが一人一人に求められているのだ。

公共の福祉という言葉が法律にはある。公共の福祉に反しない限り個人の人権は守られる。「子連れ様問題」の場合、公共の福祉に反しているのは子供でもなければ子供の親でもない。「子供」というものが理解できずに子供のふるまいに文句を言って「あいつにはこの場所を使わせるな」と主張している大人なのだ。

健常者で弱者を身近に抱えてもいないということは、その他の人に配慮する最低限の義務を抱えているし、より道徳的に考えるなら、彼らの手助けもするべきなのだ。それが現代社会というものだ。21世紀で平成も終わろうとしている今、女子供や障害者は排除しろ、みたいな前近代の思想に後戻りできる理由はない。

子供が嫌いだからといって、ある店舗が子供の入店を禁止していないにも関わらず「子供を黙らせろ」などと子連れに文句を言うのは完全にお門違いだ。いやなら店を出ればいいし、店に子連れ禁止にしろと文句を言えばいい。

飲食店とか、コンサートホールとか、民間企業がある程度の線引きをすることは仕方ないかもしれない。でもそれは最小限であるべきだし、障害者については障害者差別禁止法もできた。相撲の土俵だのある種の神社だのが女人禁制としているのはいつまで続けられることだろうか。

いずれにせよ子供を禁止していない店、あるいは公共の場所というのは「子供が騒ぐこと」までセットで受け入れて利用するべき場所なのだ。子供が嫌いなら、それを踏まえてそこを利用するかどうかは個人が判断すればいい。

もちろん子供に限らず、特定の人種や、性別やなんかが嫌いな人も同じことだ。

偏見かもしれないけど、欧米の人なら香水がきついとか、中国の人なら声がでかいとか、アラブの男性ならヒゲが多いとか、何かステレオタイプな特徴があってそれが気に入らないという人はいるだろう。そのカテゴリの人がそこにいるであろうということを前提に、そこを利用するのかどうかを判断するのは個人の自由だ。

でも、気に入らないからといって気に入らないカテゴリの人を排除することは許されない。公共の場所で「特定の客が、その客にとって普通の行動をしているにもかかわらず文句を言う」のはただの言いがかりで、やっていることは子供と変わらない。


「子連れ様」に文句を言うのは誰なのか

大体「子連れ様」に文句を言っているのは

1)子供がいないおとな

2)たまたまおとなしい子供を育てたおとな

3)子供はいるけど自分では世話をしていないおとな

4)子連れの頃に文句を言われて我慢させられていたおとな

のどれかだろう。4)には同情するけれど、1)~3)については、早く大人になってくださいとしか言いようがない。

どうしようもないことについて、自分の気に入らないからといって子供みたいにギャーギャー騒ぐのはいい年をした大人のやることではないのだ。

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