わたしのしつけ②~なぜお守りと絵本なのか

お父さんであること, 子育てを考える

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わたしのしつけ①~お守りと絵本


わたしがしつけの道具としてお守りと絵本を選んだのには多少わけがある。

お守りというのは原価10円くらいの実に価値の分かりづらいものだ。価値があるかどうかもアヤシイと言えばアヤシイ。でも、宗教や文化というものは大体そういうものなのだ。

楽しいとか美味しいとか美しいとか強いとか、そういうわかりやすい価値観とは無縁のところにも、畏れ敬うべきものがある。

自分にとって大切でなくてもそれが神社仏閣であれ、教会であれ、コーランであれ、そういうものを尊重することは大切なことだ。

私は何か特殊な事情でもない限り、人の就業や文化にかかわるようなものを踏みつけたり壊したり茶化したりするようなひとに、たいきに育ってほしくない。

そのことを伝えるためにお守りというのはうってつけのアイテムだったということだ。


絵本というのはたいきが一番最初に触れる本で、この中にはたくさんの愛すべきキャラクターが描かれている。

本というのは、私はとてもありがたいものだと思っている。

いろんな本が世の中にはあるけれど、たくさんの頭のいい人たちがだれかに何かを伝えようと一生懸命書いている。

タブレットもパソコンも使える時代だけど、わたしは本も含めた、そういうものを通して誰かが伝えてくれる情報や知恵の象徴として、本に対する敬意をたいきに教えたい。

そんなややこしいことを言葉で伝えることはない。どうせその言葉がわかるようになる頃には反抗期真っ盛りだろうから、伝える機会はないかもしれない。

でも、何かの時に誰かの知恵や情報が彼を助け、あるいは彼の人生を豊かなものにしてくれるだろう。この本なりサイトに出会っていてよかったと思う日がきっとあるのだ。

もうひとつ、たくさんのキャラクターが描かれていることも大切だ。

たいきは0才から保育園に通っているから、もうすでに同級生という存在はいる。それはいるけれども、彼らも同じ年代なので豊かな意思疏通はまだむずかしい。

たいきが最初に出会い、愛し、愛される友達は、私たち親が読み聞かせる絵本のキャラクターなのだ。

かくれんぼをし、はなしかけ、冗談をいい、笑いあう。そういうことを絵本のキャラクターとしながら、たいきはコミュニケーションを学んでいく。絵本はたいきの最初の他人であり、友達なのだ。

絵本に描かれているキャラクターに思いやりを持つことができれば友達を大切にすることもできるのではないか。

誤解がないようにいっておくと、別に、友達一杯の人生をとか、そんなことまで絵本に期待しているわけではない。

いま通っている保育園のお友だちをたたいたり、ひっかいたり、かみついたり、子供だからどうしてもするだろうけれど、とりあえずはそういうことが少し少なくなったらいい。その程度のことではある。

でも、初めてたいきの友達になってくれた「いないいないばあ」のくまちゃんや、「うずらちゃんのかくれんぼ」のうずらちゃんとひよこちゃんや、「パンダ銭湯」の真っ白なパンダの親子を、足蹴にする子よりはそうしない子でいてほしい。

そんな気持ちもある。


まあ、どうせ何もかもうまくいくわけじゃない。効果があるかどうかもわからない。こんなやり方をお勧めするわけでもない。いつまでこんな調子で悠長なことを言っていられるかもわからない。

ちなみに、うちにある絵本のいくつかは、ページがビリビリになって再生不可能になっているものもある。

それはそれでいいし、それをしかったわけでもない。力の入れ方やもののさわりかたのルールを知らないだけで、そんなルールはまだたいきにとってどうでもいいことだ。

ビリビリ破れる感触や、壊れたものがどうなるかを知ることもとても大切なことだ。それは、ものを科学することのはじめの一歩なのだから。

別稿でおすすめした「へんなかお」。この絵本の最後のページはたいきが破ってしまって、もうない


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