わたしの「しつけ」①~お守りと絵本

お父さんであること, 子育てを考える

しつけっていう言葉は嫌いだ。しつけっていうのは子供に暴力を振るうための免罪符じゃない。

何か子供をしかるときに、まず自分がイライラしていないか、何のためにしかるのか、よく考える。

イライラしてるときはしからない。イライラしてるときのそれは多分私のイライラを納めるための行為であって、ただの一方的な、勝ちの決まっているケンカだからだ。そんなことをしても子供はもやっとするだけだ。

何か子供にしてほしくないことがあるとして、それをやめさせることと、なるべく同じことをまたさせないことがゴールであって、しかるのは手段のひとつにすぎない。

とはいえいずれ、何かについてこれはどうしてもダメなんだということを教えなきゃいけない日が来る。

なので、その練習台としてわたしが選んだのが、お守りと絵本だ。


たいきの登園バッグの中に、保育園からの書類を入れるためのビニール製のチャックのついた袋が入っている。

私はその中の、鎌倉の八幡様(鶴岡八幡宮)で頂いた小さなお札(大人の親指くらいのサイズのお守り)を入れている。

これにたいきが触ろうとすると私はそれをしかることにしている。

もちろんなんの危険性もない。わたしへの被害もない。だから一切イライラすることもない。

「たいき、これはね、たいきを守ってくれるお守りなんだよ。八幡様に頂いてきた大事なものなんだ。おもちゃじゃないんだよ。だからこれで遊んじゃダメなの。」

と言って取り上げる。力の差があるので無理矢理ではあるけど乱暴にはならない。そして、お札をたいきの目の前に置いて、それに向かって手を合わせてみせる。

「ほら、たいきも一緒に『あっあっ』ってしよう。お手手を合わせて?」

あっあっていうのはわたしが小さい頃に親かだれかに教わった、子供が手を合わせるときの言葉。地域によっては『あんあん』とか『のんのん』とか言うらしい。

そしてたいきと一緒に手を合わせたら

「よくできたね。じゃあこの中にナイナイして」

と言ってお札が入っていた袋を差し出す。いままで3回こういうことがあったけど、2回目からはちゃんと自分でしまってくれるようになった。

ちなみに1回目は1才になるかならないかくらいだったと思うけど、生まれて初めてお父さんにしかられたたいきが、保育園につくまでなんとなく笑顔にならず、結構落ち込んでるなぁと思ったのをよく覚えている。


もうひとつは絵本。

絵本を踏んだらしかるようにしている。これもお守りと一緒。別に腹が立つわけではない。被害もない。イライラすることもない。

だから声を荒げることもないし、乱暴なことをすることもない。絵本をそっとたいきが転ばないように注意しながら足のしたから取り上げて

「たいき、たいきはこの絵本好きでしょう?ご本はほんとに大切なものなんだよ。だから足で踏んじゃダメ。」

っていう。そして

「ほら、だるまさんにごめんねってしよ。いいこいいこしてあげて。」

といって絵本を差し出す。

実はこっちはあまりうまくいっていない。機嫌がいいときほど、結構、そのまままた足元に投げて踏んだりする。そしていたずらっぽく笑う。

絵本を足元から取って言って聞かせるのを何回か繰り返すと飽きて別のことを始めたりする。

まあ、いいのだ。これを二度としないようならまた別のことを考えなきゃいけなくなる。そのうちやらなくなるだろうし。

飽きてるように見えるけど、根負けして諦めてるのかもしれない。

とにかく、ひとつふたつはお父さんがどうしてもダメって言うことがあるんだということを知っておいてくれればいい。


うちの子はまだ1才9ヶ月なので、難しいことはわかるまい。とりあえず刃物にさわるとか、道路で手を繋がずに走り出そうとするとか、そういうことはその場で刃物を取り上げ、手を繋げばいい。ごめんね、それはダメなんだ、と言いながら。

もちろん暴れたり泣いたりすることはあるけれど、とにかく謝り、落ち着くのを待つしかない。登園中に泣いて道路に寝転ばれると、あとはそのまま抱き抱えて大暴れされながら歩いていくしかないけれど。大きい声でしかりつけても大して変わらないんじゃないかと思っている。

その他のことでも何か言いたくなったとき(コップの水をぶちまけたとか、私の顔の上に座ったとか、私の大事なレコードをなめ回してるとか)は、絵本とお札のときの話し方を思い出しながら、それよりは静かに話すようにしている。


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