風呂場の段差について話し合わないことでストレスを減らす

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うちの風呂場の入り口はそこそこ大きな段差になっている。

先月までは、たいきを抱っこしたまま風呂場に入っていたのだけれど、先週くらいから、たいきはここを自分で歩いて乗り越えるようになった。

左の壁に両手で掴まり、よいしょ、こらしょ、と一足ずつ持ち上げる。そしてまた一足ずつ風呂場に入っていく。

もう抱っこして入ることもないのかなぁと思いながら、後ろ姿を見つめる。もちろん、転びそうになったらすぐに支えられるように準備しながら。


風呂から上がると、リビングに連れていって体を拭いてやるのは奥さんの担当。私はたいきを湯船から出してやるところまで。

すると、奥さんが風呂場の外で「たいき、こっちにおいで」と声をかける。

実は、私はこれが嫌なのだ。

まだ覚束ない足取りで、濡れたまま、滑りやすくて大きな段差に、これまた濡れたままの手で壁に掴まって足をかける。

後ろから見ていて、踏ん張ってるときに手か足を滑らせて、ひっくり返って頭を打つんじゃないかと毎回ヒヤヒヤしながら見ている。

まだ危ないからやめて、とか、足を拭いてからにしよう、とか、言いたい。


言いたいけど、私は言わない。

奥さんは、たいきの自主性とか、成功体験を積むこととか、自分でできることを増やして自信や自尊心を持つことだとかを奥さんなりに考えてやってくれていることだろう。

この、自信や自尊心を育てるということは、私たち夫婦がとても大切にしていることなのだ。

もちろん、転んでも怪我をするような固い床ではないこともちゃんと考えてのことのはずだ。


私がたいきにさせていることで、奥さんがあまり気持ち良さそうな顔をしていないことがあることも知っている。逆に奥さんがさせていることで、わたしがあまりよく思ってないことがあることも気づいてると思う。

そういうときは、お互いに、たいきをサポートしようと少しだけ体が動くからわかるのだ。

でも、私たち夫婦はこの程度のことは話し合わない。話し合おうとするということは、一旦、相手を否定することだ。お互いに子育てについて萎縮するようなことはしたくない。

それよりも、ここまではやらせてやりたいと思った気持ちを尊重して、万が一が何もないように心と体の準備をする。つまりいつこけてもいいようにすぐ手を出せるようにしておく。

二人がいいと思ったことだけをやらせると、その範囲は狭くなってしまう(図の青い部分)。どちらか一方ががいいと思ったことをさせていれば、その範囲はかなり広くなる(図のA、B全部)。

もちろん、0歳児にはちみつを食べさせるとか、1才児に刃物を持たせるとか、そのレベルのことはしないし、万が一していたらちゃんと話し合ってやめなければならない。もちろんそうやって話し合ってやめたこともある。

お互いに話し合って理解し会うことは一見美しい。

でも話し合わなくていいことは話し合わない方がいい。どうでもいいことほど、話し合っても納得はできずに、モヤモヤしたままどちらかが折れることになる。

どうせ折れるなら、不愉快な話し合いの時間なんか無しに折れてしまった方がストレスは少ないのだ。

話し合いが悪いわけではもちろんない。でも、話し合わないことも、全てが悪いわけではないのではないか、ということ。

こういうのを「アソビ」と呼んだりする。いわゆる許容範囲だ。自分のなかにこのアソビがないと余裕のない生き方になるし、パートナーともケンカばかりになってしまう。

こだわりすぎない、ということはストレスなく生活するためには案外大切なのだ。