ヴィヴァルディは苦労人だった…赤ちゃんに昼聞かせたい音楽 ~協奏曲集「ラ・ストラヴァガンツァ」(ヴィヴァルディ)

子供に聞かせたい音楽

曲名:協奏曲集 作品4 「ラ・ストラヴァガンツァ」 (*風変わりなもの、奇抜なもの、といった意味)

演奏:イ・ソリスティ・ヴェネティ 指揮:クラウディオ・シモーネ

ヴァイオリン:ピエロ・トーゾ、カルロス・リビン

発売元」:RVC株式会社

 

タイトルは「風変わりなもの」という意味の「ラ・ストラヴァガンツァ」ではあるけれども、いまの我々が聞く分には、堂々たるバロック音楽であって、決して風変わりなところなどない。いや、バロック音楽にしては随分抒情的で、特に、第二楽章の類では、ある種、ブラームスやチャイコフスキーを聞いているんじゃないかと思うような趣もある。あるいは、曲の途中で転調したり、ちょっとしたところで半音違う音を使ってかっこいいフレーズを書いていたりする。そういったところが、この時代には目新しかったのかもしれない。

「四季」のようなキャッチ―な標題音楽ではないために有名になりそこなっているのだと思う。いずれも、とにかくヴァイオリンのソロがかっこよくて、聞きほれてしまう。

それぞれ3楽章ずつの、4つの協奏曲で、あわせて12曲。この中の第一番はバッハがチェンバロ用に編曲したものもあるそうで、いずれは録音を見つけて聞いてみたい。

ヴィヴァルディは、このころ協会が経営するピエタ慈善院という、いわゆる孤児院で生活する女性たちに音楽を教える付属の音楽院で音楽の先生を務めながら、彼女らが演奏会を開くための作曲を活動を行っていたらしい。調和の霊感にしても、この、ラ・ストラヴァガンツァにしても、その類に漏れない。いずれも、決して演奏が簡単な曲ではないと思われるので、よほど、この孤児院の演奏レベルは高かったんだろう。ヴィヴァルディのころには有名なミュージシャンも多数輩出したために、貴族も、わざわざ娘をこの付属音楽院に入学させたりもしたという。当然、そういった貴族の寄付が、この慈善院の運営に大きく寄与したんじゃないかとおもう。

ジャケットの解説によると、ヴィヴァルディは1712年に有名な「調和の霊感(L’ Estro Armonico、調和の幻想、とも)」を出版していて、それがあまりにも好評だったために、翌年1713年に出版したこの「ラ・ストラヴァガンツァ」のためには色々と苦労をしたものらしい。

というのは、ヴィヴァルディは当時司祭であったにもかかわらず、喘息もちだったために、市債の最も大切な仕事であるミサを行うことが出来なかった。一方で、30代前半にして、「調和の霊感」のヒットや、ピエタ慈善院のその他の音楽活動(ヴィヴァルディは指揮者で作曲家だった)の名声によって有名人だった。しかも、ヴィヴァルディは平民出身で、血統の後ろ盾のようなものは全くない。

もう、新しい楽譜なんか出版しようものなら、同業者から「クソだ」「カスだ」と無条件でディスられることが確定していたのである。

そこで、ヴィヴァルディは、自分のヴァイオリンの弟子の中で、えらい名家の子弟であるヴェットール・デルフィノに捧ぐ、という形でこの曲を出版したものらしい。このヴェットール・デルフィノの家は、ヴェネツィア総督やら、元老院議員、将軍、などを輩出していたというから超名家。

ヴェットール・デルフィノにこのとき送った献呈の辞がレコードのジャケットには全文掲載されている。まあ、とにかく、あなたの音楽の才能は素晴らしい。わたしはあなたに音楽を教えているというよりは、一緒に音楽の研究をさせていただいています。あなたの最も忠実で献身的な下僕である私ですから、この音楽はあなたに捧げます。という感じの内容。苦労人。

 

演奏は、音楽学者でもあったクラウディオ・シモーネが1959年に設立したイ・ソリスティ・ヴェネティ。奇を衒わない堂々たる演奏で、間違いなく名演奏と言っていい。

 

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